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2009年2月

No385 春一番

385hama  関東地方には2月13日に春一番が吹いた。

 この日、私は横浜の港近くに出かけていて、海からの風で帽子が吹き飛びそうになるほどだったが、南からの暖かい風で、寒くはなかった。夜になるとさらに風が強くなって雨も降り、公園の松がざわざわと音を立てていた。南からの暖かい風のよって気温が上がり、翌14日には20度を超して、まるで4月か5月の陽気となった。

 春一番が吹いたからといって、今年も寒い日が終わりというわけではない。まだまだ寒い日もあり、3月一杯は雪が降る事があるかもしれないが、寒い北と暖かい南がせめぎ合い、次第に南の勢力が力をのばしてきたことは間違いない。後1月もすればサクラのつぼみが膨らみそうだ。

 総じていえば今年の冬は暖かかったように思う。気温が0度近くなると、庭のパンジーの土が凍ってカチカチになるのだが、今年はそのような日が3日もあったろうか。霜柱がたって、それがとけ、庭がじゅくじゅくになるようなことは一日もなかった。

 北海道からは、今年は雪が少なく暖かいと言ってきたし、新潟でも海岸よりはほとんど積雪がないという。日本列島は暖かい冬だったといえそうだ。

 地球全体が日本のように暖かくなっているかといえば、そうではないようで、ヨーロッパや北米は厳しい寒さの日が何日もあったと聞いた。 地球全体が日本の冬のように暖かくなっているのではないにしても、全体から見れば暖かくなってきているようで、北極海の氷が少なくなり、スイスの氷河が短くなっているという。

 地球が暖かくなってくれば、寒冷地、例えば国で言えばロシアとか北欧、日本国内では北海道などは過ごしやすくなって、よいことも多いと思うのだが、そればかりを言ってもおれないようだ。

 温暖化で自然条件が変わり、動物の生存が脅かされるとか、動物だけでなく海水面が上がって人間の生活も脅かされるなど、さまざまな警鐘が鳴らされている。

 私たちの生活でも冬暖かいのは良いにしても、夏は冷房なしでは暮らせなくなってきた。私たちの世代は大丈夫だと思うが、孫の世代になって住めない地球になったということがないよう気を配らねばとは思う。

(写真は春を告げるマンサクの花)

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No384 いきいき健康農園(12)

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いきいき健康農園の利用申込みを行ったが、申込者が2倍以上なっているようで、今年から野菜作りができなくなるかもしれない、と1月にこの欄に書いた。

 1月末になって書状が届き、「公正な抽選の結果、あなた様は当選となりましたのでお知らせします」とあり、ラッキーにも再び今年から5年間野菜作りが続けられることになった。

 野菜を食べる側の相棒や娘は、これまでと同じように新鮮な野菜がただで食べられると喜んでいるが、私としては「やれやれ」という気分がないでもない。大きくなった野菜を収穫するのは楽しいのだが、それまでに手間がかなり掛かるのである。

 当選者が集められて、市の担当者より農園利用についての説明会があった。利用できることになった農園は全部で35区画あり、1区画の面積は30平方㍍、利用料は土地の借り賃を含め、1年当たり5千円ほどになりそうだ。

 農園全体の運営は、利用者全員で農園管理組合を作り、この中から代表者や会計などの役員を選んで、地代の支払いから、共通部分の除草などすべて自主的に運営する事になっている。 この様な運営方式の家庭菜園は全国でも珍しく、非常に先進的な運営方法だと、市の担当者は胸を張っていた。

 この日は役員を決めるには至らなかったが、近く役員候補を決め、2月末に利用者の設立総会を開いて管理組合が発足する予定である。 それに合わせて、3月1日より農園の利用が始まる。

 今回は野菜作りの他にもう一つ楽しみが増えそうである。昨年まで、私の隣の区画だったKさんと話していたら、Kさんはとてもインターネットに詳しい事が分かった。Kさんに健康農園のホームページを作り、お互いに情報交換ができれば良いですね、と話したところ、早速健康農園のホームページが出来上がった。このホームページで野菜作りの相談やら自慢やら、さらに収穫野菜の調理法まで情報交換して、交流を楽しみたいと思っている。

 3月に入れば早速ジャガイモの植え付けである。それまでにこの5年間の野菜作りノートを整理し、次の5年間の野菜作りの参考にしなければならない。

(写真はいきいき健康農園の看板)

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No383 横浜開港150周年(7) 中華街

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横浜の中華街は横浜開港の時、中国人が西欧人とともに移ってきたのが始まりだという。震災や戦災で全滅の被害を受けたが、戦後復興し、日本最大の中華街となった。JR関内駅から徒歩数分の、およそ500㍍四方が中華街で、この中に中華料理、中国雑貨、食料品、土産物など中国関連の店が600店以上も軒を並べている。

 中華街は中国の習慣にならって旧暦の元旦が春節として祝われ、10日間ほども祝祭行事が続く。今年は1月26日が春節あったが、その数日後私は中華街をぶらぶら歩いてみた。JR関内駅から、中華街の入り口に近づくと、歩道に「慶祝春節」と書かれた真っ赤な旗がたくさん立っており、「春節」と書かれた提灯もたくさん掛かっていた。何もなくても赤い中華街の街並みがさらに赤く染まっていた。

 通りに入ると、ふだんとは違うにぎわいで、中国語の会話も聞こえてきて、外国からの観光客も多いようだった(写真)。

 通りに面した店先では大きなせいろから湯気が上がっていて、中華まんじゅうが売られており、甘栗も店先で煎りながら売られていた。

 中華まんじゅうには、あんまん、にくまん、ちゃーしゅーまん、ふかひれまん など色々な具のものがあり、アツアツを買って歩きながら食べるのが中華街の食べ方のようだった。白人のカップルが中華まんを食べながら歩いていたが、私は歩きながら食べる気にはならず、せめて腰掛けて食べたいと思う。

 中国料理の食材店や中国雑貨の店などもたくさんあって、食材店に入ってみた。調味料や中国茶、乾物、めん類など何でもありで、値段も安いようであったが、難点は小売り単位が大きくて、2人家族ではとても使い切れそうにない事である。干しエビと塊のザーサイ、ビーフンを買い、近くのスーパーの値段の半額ぐらいのような気がした。

 中華街を1時間ほど歩き、中華街の混とんとエネルギーを身にしみて感じた。最近新しくできたショッピングモールがきれいでスマートなのに比べると、中華街はその対極にあるようである。 ショッピングモールがスマートな標準化されたマニュアルの雰囲気とすれば、中華街は職人さんの個性的な雰囲気と言えるかもしれない。

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No382 横浜開港150周年(6) 元町

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 横浜港の交易が盛んになると、港の南方の高台に外国人がたくさん住むようになった。現在、「港が見える丘公園」と呼ばれる辺りで、今もフランス山と呼ばれる高台があり、古い洋館や外人墓地が残っている。

 港に近い場所に外国商館が立ち並び、当時の外国人は高台の居留地から港の近くまで通っていた。元町はその途中にあって、外国人が毎日のように行き交う場所となり、日本人との交流が始まった。外国人から西洋の技術を教わってものを作り、外国人に売るという商売が始まり、日本としては珍しいパン屋、洋服屋、帽子屋などが開業した。西洋文化を採り入れた新しい店が続々と開業して、日本で一番エキゾチックな街として発展し、元町の原型となった。

 現在の元町は元町ストリートと呼ばれ、およそ1㌔のオシャレな店の並んだショッピング街で、若い人にも観光客にも人気のスポットとなっている。車の乗り入れが制限されていて、一方通行の中央車線を挟んで、広い歩道があり、車を気にせずウインドウショッピングが楽しめるようになっている。

 先日、久しぶりに元町ストリートを歩いてみた。この日は雨模様の平日で、以前来たときより人出が少なかったが、それでも観光客らしい連れがかなり歩いていた。

 以前は気がつかなかったのだが、ここにも世界的な有名ブランドの店やファーストフード店、安売り店、コンビニなどがかなり増えているように感じられた。といっても、この町の目当ては、「ハマトラ・ブランド」と呼ばれる元町発祥の店である。「ヨコハマ・トラディショナル」を略した「ハマトラ」は1970年代に全国的にブームを起こした若い女性のファッションだそうで、今でも根強い人気だという。 ハマトラの3種の神器といわれたのが、いずれも元町発祥の「タツノオトシゴマークのカジュアルウエア」「Kマークのキタムラバッグ」「ミハマのシューズ」だという。

 この辺りのことについては私はガイドブックや相棒の受け売りで、全く実感が伴わず、縁がない。

 「K」マークの店にたくさんの客が入っていて、きれいなバッグが並んでいたが、ウインドウに並んでいる品物の値段を見て、私は「ヘー」と感心するだけである。

(写真はキタムラバッグの店頭)

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