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2009年7月

No406 イギリス旅行(5)ピーター・ラビット

 旅の4日目は湖水地方観光と湖畔の町散策であった。

4061hama  遊覧船に1時間ほど乗り、続いて絵本に出てくる機関車トーマスのような蒸気機関車が引く列車に30分ほど乗ったが、遊覧船からの眺めも列車からの眺めも特別素晴らしい、というほどの事ではなかった。といっても、これは日本人の印象であって、平たんなイギリスでは千㍍に達しない山であっても、湖から立ち上がる山の眺めには感動するのかもしれない。

 200年ほど前の詩人ワーズワースは湖水地方に居を構え、この自然をたたえる詩をたくさん発表した。湖水地方に人が訪れるようになったのはワーズワースの影響も大きいという。

 そのワーズワースが後半生を過ごした家が博物館になっていて、遺品や肖像画、彼自身が描いた絵などが展示されていたが、私は名前を知っていたぐらいで、彼の一編の詩も知らなかった。

 4062hama ピーター・ラビットという名を聞いたことがあるだろうか。名前を知らなくても、空色のチョッキを着たうさぎの絵なら日本で商品のキャラクターとしても使われたことがあるので、だれでも見たことがあると思う。この空色のチョッキを着たうさぎが湖水地方のシンボル・ピーター・ラビットで、この地をこよなく愛したビアトリクス・ポターが書いた絵本の主人公である。

 湖の近くに「ビアトリクス・ポターの世界」という博物館があり、のぞいてみた。ポター女史の等身大の人形はじめ、ピーター・ラビットの絵本の世界が動物たちの人形で再 現されていた。絵本を良く読んでいる子供なら物語の画面がリアルに再現されていて楽しいに違いない。

 街並みを歩いてみると、土曜日であったためか、観光客が多かった。土産物屋にはピーター・ラビットの絵本に出てくる動物たちのグッズであふれていた。

 歩き疲れて、オープンカフェでコーヒーを飲んでいると、店員さんがいすを片づけはじめた。夕方5時を過ぎたばかりで、この季節は9時過ぎまで明るいのにもう閉店するのだという。 

 この日は連泊で、夕食後8時過ぎにホテルに戻ったがまだまだ明るかった。ホテルのプールでゆっくりと泳いで、疲れをいやした。

(写真上はワーズワースの博物館、下はぬいぐるみのピーター・ラビット)

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No405 イギリス旅行(4)シェクスピア

今回の旅はイギリス文学をたどる旅でもあり、シェクスピアに「嵐が丘」のブロンテ姉妹、詩人ワーズワース、絵本「ピーターラビット」のビアトリクス・ポターを巡る旅であった。

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 3日目は午前中にシェクスピアの町を訪ね、午後から嵐が丘の舞台を訪ねた。

 バーミンガムからバスで1時間ほどのところにシェクスピアの生地がある。この町はストラトフォード・アポン・エイヴォンといって、人口2万人強の小さな町であるが、シェクスピアを売り物に、年間50万人の観光客を集めるという。

 最初にシェクスピアの妻・アン・ハザウエイの生家を郊外に訪ねた後、街の中にはいると、木組みの家が並んでいて、その中にシェクスピアの生家があった。生家は木組みの大きな2階家で、内部が見学できるようになっていて、当時の生活が実物やレプリカで再現されていた。シェクスピアは1564年この家に生まれ、青年期をまで過ごしたということで、日本の時代で言えば信長の時代に当たり、当時としてはかなり裕福な家であったに違いない。

 町にはシェクスピア劇場を筆頭にシェクスピアと名の付くホテルやレストラン、土産物屋等が並び、土産物屋ではシェクスピア劇に登場する人物グッズであふれていた。 さすがシェクスピアで、町はシェクスピアで生活しているようであった。

4052hama  午後からはバスで4時間近くも走り、小説「嵐が丘」の舞台となったハワースに着いた。バス1台がようやく通れるほどの道の先に石造りの家の集 落があり、そこが「嵐が丘」の作者・ブロンテ姉妹誕生の地であった。私は「嵐が丘」から受けた印象では、岩がごろごろした荒れ地を想像していたが、訪ねたときはなだらかな斜面の丘が緑に被われていて、羊が草をはんでいる穏やかな光景であった。イギリスの6月は1年で1番良い季節だそうで、ハワースに限らず、寒くて昼間の短い冬に来ないと、その厳しさは分からないのかもしれない。

 ハワースを後にして湖水地方に向かった。この地は山の少ないイギリスでは珍しく、千㍍近い山の連なる地域で、その間に名前の通り湖が点在し、イギリスの景勝地として知られている。

 この日は湖に近いリゾートホテルに泊まった。

(写真上はシェクスピアの生家、写真下は「嵐が丘」の風景)

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No404 イギリス旅行(3)バース温泉

 2日目はロンドン西南の観光都市・バースからのどかな田園地帯をまわった。バースにはローマ人によって建てられた温泉遺跡があり、英語のバス(浴場)はこの地名が語源だという。

4041hama  現在、温泉遺跡は博物館になっていて、たくさんの見学者が訪れていた。私たちも日本語の案内ガイドを耳にしながら館内を回った。ローマ時代の石造物の間に見学通路が作られ、発掘された遺構や発掘品がたくさん展示されていた。現在も温泉が湧出しているようで、小さなプールくらいの浴室には黄色みを帯びた湯面から泡がぼこぼこ出ていた。

 イギリス国内で温泉が出るのはバースのほかに1、2カ所あるぐらいで、日本のように温泉が手近にはないせいか、イギリスには温泉を楽しむ習慣はなかったようである。日本人から見れば温泉が出ているのに活用しないなんてもったいないと思うが、2006年になってようやくバースに温泉を利用した保養施設ができたという。

4042hama  温泉だけでなく、イギリスには火山もなく、地震もほとんどない。これはイギリスが日本などと比べるとずっと古い地層で、分かりやすく言えば「すっかり枯れた島」になっているからだそうで、高い山もない。

 この日、ロンドンを少し離れると緑に覆われたなだらかな丘陵地帯となり、バースを離れて田園地帯の田舎町を通り、宿泊地のバーミンガムに着くまで、バスの窓からは緑の丘陵地帯ばかりであった。

 なだらかな斜面が1辺2~300㍍ぐらいであろうか、石積や低木で区切られていてどこも鮮やかな緑であった。一部には大麦か小麦が植えられているようだったが、多くの区画は牧草のようで、牧草地には所々に100頭か200頭ほどの羊が放たれて、草を食べていた。

 イギリスの国土面積は日本の約2/3だそうだがが、イギリスはどこも平坦で、農業や放牧に使用可能な面積は日本よりイギリスの方がかなり多いように感じた。

 この丘陵地帯をぬって無料の高速道路が走っており、道路にトンネルはなく、橋はあったかも知れないが気が付かなかった。途中、古い石造の民家の残る田舎町を観光した後、イギリス第2の都市バーミンガムのホテルに入った。

(写真上は温泉遺跡の博物館内、写真下は車窓に広がる田園風景)

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No403 イギリス旅行(2)ドーヴァー海峡

イギリス観光の初日はイギリスの東南部・ドーヴァーに向かった。

 ロンドン郊外のホテルをバスで出ると、バスはすぐに高速道路に入った。 この高速道路が日本に似ており、車が左側通行だということもあって、外国だという感じがしなかった。

4031hama  途中、石畳の古い町並みを1時間ほど観光した後、昼前には海に面したドーヴァーに着いた。

 私はフランスからイギリスにまたがる海をドーヴァー海峡として知っていたが、この名がイギリスで一番ヨーロッパに近い港町・ドーヴァーから付けられたとは知らなかった。

 ドーヴァーはイギリスとヨーロッパを結ぶ表玄関として重要な港町であったけれども、現在、人の往来は航空機が主役となり、フランスとイギリスを結ぶ海底トンネルも完成して、もはや表玄関とは呼べそうにはない。

4032hama  海に突き出たさん橋にシーフランスと書かれた白い船がいただけで、港に船舶をほとんど見かけなかった。海岸道路に沿ってホテルらしい建物が並び、港町というよりもリゾート地といった感じであった。

 目についたのは、北方のがけの上に建つどっしりとした石の城(写真上)で、ドーヴァーはイギリスの玄関口であると同時に、大陸からの侵攻に備える防御の中心地でもあった。 イギリスとフランスは争ってきた歴史があるけれど、今ではフランスとイギリスを結ぶトンネルによって、ロンドンとパリ間が2時間強で結ばれている。ロンドンで見た観光パンフレットには「ロンドン発パリ日帰り観光」とあった。

 バスはドーヴァーを離れて北に向かい、1時間ほどでカンタベリーに着いた。カンタベリーにはイギリス国教会の総本山・カンタベリー大聖堂(写真下)がある。バスを降りて大聖堂に向かうと、沿道はたくさんの観光客であふれていた。

 大聖堂はヨーロッパ各地の大聖堂と同じように、壮大な石の建築物で、内部に入ると天井が高く、左右の壁面は鮮やかなステンドグラスで飾られていた。

 イギリス国教会は、5世紀ほど前、ローマ法王のカトリックから分離独立したもので、カトリックでは離婚が認められないのに対し、イギリス国教では離婚が認められるのだという。

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