日記・コラム・つぶやき

No417 真打昇進披露公演

417hama  三遊亭王楽の真打披露公演を横浜にぎわい座で聞いた。王楽は笑点メンバー三遊亭好楽の息子で、 笑点の前の司会者三遊亭円楽の最後の弟子だという。

 落語家の世界は大阪と東京では少し違うようだが、落語家になりたい人は落語の師匠に入門し、前座、二つ目を経て真打(しんうち)に昇進する。真打になると初めて師匠と呼ばれ、ようやく一人前の落語家である。

 王楽は平成13年、父親好楽の師匠である円楽に入門し、3年の前座、5年の二つ目を経て今年9月にめでたく真打に昇進した。

 真打になると、新真打が主任(とり)となって披露公演が行われ、披露口上(紹介、挨拶)が述べられる。

 私が観たのは王楽の昇進第1回目の披露公演で、これ以降各地の寄席で繰り返し披露公演が行われるはずである。

  この日の出演者は三遊亭一門から兼好、好楽、楽太郎の3人に林家木久扇で、最後に王楽が「愛宕山」を披露した。

 好楽、楽太郎、木久扇の3人は、ご存じの通りテレビ番組「笑点」のメンバーで、実のところ王楽の落語を聞きたいというよりも、この3人の話を聞きたくて、にぎわい座まで出かけたのである。笑点メンバーの歌丸、小遊三の話は聞いたことがあるけれど、この3人の話をきくのは初めてで楽しみにしていた。さすがに三人とも客を引きこむのが絶妙で、大いに笑わせてもらった。

 王楽の話はあまり期待していなかったのだが、「愛宕山」を見事に演じた。これからの若手として期待できそうで、父親で兄弟子に当たる好楽よりも上手になるかもしれない、と思ったほどである。

 政治の世界では、2世議員の多いことが問題点として指摘されているけれど、最近は落語の世界でも2世が増えているようだ。好楽ー王楽親子の他、木久扇ー木久蔵、三平ー正蔵、三平、小さんー花禄(3世)など、私の知っているだけでもこれだけいる。

 落語家の場合は、政治家と違って2世だからといって客が集まるわけでもなく、面白くなければ客は来てくれない。

 次は円楽襲名をめざすという王楽本人の枕の弁だったが、そのように成長するよう期待しよう。

(写真は公演パンフレットより)(No.417 2009.10.10.) 

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No416 おはぎ

416hama  今年の彼岸は休日が重なり、好天が続いてどこも人出が多いようだった。わが家の近くには遊園地や霊園があって、周辺の道路がこれまでにないほど渋滞していた。

 私は先祖の墓が郷里にあって、申し訳ないことだが彼岸だといってお参りしたことがない。

 行楽地やショッピングセンターなども車があふれ、駐車場が大変なので、休日にはできるだけ外出しないことにしている。

 彼岸らしいことをしたといえば、彼岸の中日におはぎを食べたことぐらいである。今は春でも秋でも彼岸が近くなると、スーパーにたくさんおはぎが並んでいて、これを買ったのである。  子供のころ母親がおはぎを作ってくれたが、今では家庭でおはぎを作ることはなくなった。

 ところでおはぎ(お萩)と呼ぶのは秋の彼岸のころのことだそうで、春の彼岸のころは「ぼたもち(牡丹餅)」とよぶのだという。

 といわれても、私は春でも秋でも「おはぎ」としか言ったことはなく、「ぼたもち」とはこれまで一度も口にだして言ったことはないと思う。

 ぼたもちとおはぎが同じものだと知ったのも最近である。

 プロレスのジャイアント馬場さんが「子供のころ、ぼたもちを腹いっぱい食べるのが夢だった」と話しているのを聞いたことがある。このとき私は、馬場さんが言っているぼたもちとは餡(あん)の入った大福もちだろうと思っていた。

 馬場さんがおはぎを食べる姿を想像できなかったし、「棚からぼたもち」のぼたもちも、落ちるのがおはぎではぴんと来ない。

 最近は春の彼岸に売られているのもおはぎと書かれているようで「おはぎ」が年中使われ、「ぼたもち」をほとんど見かけない。

 粒あんはおはぎでこしあんはぼたもち、大ぶりなのがぼたもちで小ぶりなのがおはぎ、などとも言われるようだが、先日食べたおはぎは小ぶりでこしあんであった。今ではこしあんでも粒あんでも、大きいものも小さいものも、ご飯にアズキあんをまぶしたものは「おはぎ」と呼ばれているように思う。

 とはいっても「棚からおはぎ」では間が抜けたようで、棚から落ちるのはぼたもちでないと、「たなぼた」と言えない。

(写真はウィキペディアより。おはぎ?ぼたもち?)

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No413 いきいき健康農園(13)

413hama  いきいき健康農園は今年契約が更新され、わが家の農園は15番から27番に変わった。新たに借りた27番で、前年度、どのような野菜が作られていたか分からず、連作障害を気にしながらのスタートであった。

 ジャガイモは障害が出るかと気にしていたが、例年並みの収穫で問題なかった。ピーマン、シシトウ、トウガラシは苗がちっとも生長せず、収穫ゼロであった。これほど成長しなかったのは初めてで、前の年、トマトかピーマンなどが植えられていた所にピーマンやシシトウを植えた事による連作障害が出たのではないかと思っている。

 これまで毎年、食べきれないほど採れたオクラも今年は生育せず、これも連作による障害かも知れない。

 リーフレタスやシュンギク、サヤインゲンは例年通り食べきれないほどで、リーフレタスは近くの区画の方にプレゼントして喜ばれた。

 昨年、たくさん採れすぎて食べきれなかったゴーヤは全く考えもしない珍事が起きた。ホームセンターで「苦瓜(れいし」と書いてあった苗を買って植えたのだが、実が大きくならないのである。その内に実が赤くなり、はじけてしまった。調べてみると「すずめゴーヤ(ミニ苦瓜)」という種類があって、どうやら観賞用のゴーヤであることが判った。観賞用ゴーヤであっても、普通のゴーヤと同じように食べることができるようで、すずめよりは少し大きいぐらいの実を料理してみると、味は普通のゴーヤと変わらなかった。相棒には「普通のゴーヤだと食べきれないのだが、ミニゴーヤだと食べるのに丁度よい」と言われてしまった。

 今年も失敗したのは枝豆で、種まきを遅らせたのだが、虫が入って全く収穫できなかった。枝豆は4回目の失敗で、もう枝豆作りはギブアップである。

 今年初めてトウモロコシを作り、大きなトウモロコシが20本ほども採れ、大成功であった。失敗の多い春夏野菜であったが、トウモロコシで、何とか救われた気分である。 現在、わが家のいきいき健康農園には里芋とショウガ育っており、モロヘイヤとクウシンサイは先端部分を摘んで時々収穫している。

 春夏野菜はもう終わりで、秋冬野菜の植え付けをはじめた。

(写真は9月13日のわが家の菜園)

 

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No412 夏のファッション

412hama_2  今年の夏は例年に比べ、暑さがそれほどでもなかったように思うけれども、それでも夏は暑いことに変わりがない。  この数年、夏になると私はTシャツに半ズボン、サンダルという姿が多くなった。 現役の時は、夏のゴルフでもゴルフウエアーの下にアンダーシャツを着ていたのだが、最近はアンダーシャツを着ることはなくなった。というよりも当時のアンダーシャツのTシャツがデザイン化されて、アンダーシャツが外出着になったといってよいのかもしれない。 ズボンの下にはいていたステテコはいつのまにやら、現役の時からはかなくなっていた。

 20年近くも前になるが、私の勤めていた会社にはシンガポールに工場があって、そこに長くいた知人の話である。

 シンガポールの街で日本人が歩いていると、日本人だと一目で判る。日本人は身だしなみがきちんとしていて、現地の人たちとは雰囲気が違うのだという。

 大方の日本人は、夏といえどもTシャツかランニングシャツを下に着て、その上にYシャツか半袖シャツを着ていた。 Yシャツならシャツの裾をズボンの中に入れ、半袖シャツでも裾をズボンの中に入れる事が多かった。このような姿の黄色い肌の人をシンガポールで見れば、間違いなく日本人だという。

 少し前になるが、シンガポールやマレーシアを旅行した印象でいうと、東南アジアではアンダーシャツを着て、その上にシャツを着る事はなく、シャツの裾をズボンの中に入れる事もしないようで、足もとも裸足にサンダルのようなものが多かったように思う。

 その後東南アジアはずいぶんと経済発展し、東京で見る黄色い肌の観光客は、見ただけでは日本人と区別が付かなくなってきた。シンガポールの日本人も現地の人たちと区別が付かなくなっているのかも知れない。

 この20年間、サラリーマンの仕事姿を除けば、日本人の服装は若者も年寄りも随分とラフな姿になってきた。私自身についても周囲を気にすることなく気楽に過ごしていると、Tシャツ、半ズボン、サンダルという3点セットが夏姿の定番になってしまった。これでは20年前のシンガポールでも日本人とは判らないかも知れない。

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No401 まる8年

今回の「浜風にのって」は401回で、新聞に掲載を始めて間もなくまる8年になる。

 軽い気持ちで掲載をお願いし、8年も書くことになって、自分で驚いている。読者の方に感謝するとともに、自分でも自分を褒めたいと思う。

 これまで海外旅行に出かけたときに何回か休載した以外は締め切りに遅れることもなく書いてきたが、喜んでもらえるものを書くのは難しい。

 まず、何について書くかが問題である。

 ふだんから何か書くことはないだろうかと意識していると、見たり聞いたりするものをヒントにしてテーマを決める事が多いのだが、面白いテーマはなかなか思いつかないし、ぴったりしたテーマがいつも見つかるとは限らない。海外旅行をしたときなどは、旅行記を書くことになって、何を書こうかと迷うことがないので気楽である。 自分では「困ったときの花」と言っているのだが、面白いテーマがないときはピンチヒッターの気持ちで季節の花について書いたりしたことが何度もある。

 テーマが決まれば、千字ぐらいの文章にするのはそんなに時間は掛からない。しかしながら、読みやすく、面白くかけたかどうかは別問題で、上手い文章を書きたいと思うけれども、力量以上のものは書けないと、最近は少しばかりあきらめ気分である。

 新聞や雑誌などでプロ作家の文章を読むと「さすがに上手い」と思うことがままある。

 最近読んだのでは朝日新聞の落合恵子さんの文、情報誌で読んだ角田光代さんの文章は、読みながら上手いなーと思い、読み返したほどである。文章に流れるようなリズムがあって読みやすく、表現が多彩でイメージが膨らんでくる。

 昔読んだのでは、瀬戸内寂聴になる前の瀬戸内晴美さんの文章や司馬遼太郎さんの紀行文に感心したことを覚えている。

 文章を上手に書くのは生まれ持った才能で、普通の人がいくら練習しても100㍍10秒で走れないと同じように、文章もプロが書くようなものをアマが簡単に真似することはできないであろう。

 これからも勉強しながら、次は500回をめざして書きたいと思います。ご愛読下さい。   

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No400 ボールペン

400hama  私の筆記具は専らボールペンである。

 今使っているのは赤黒青の三色とシャープペンの4芯(しん)ボールペンで、300円ぐらいのものである。現役の時は鉛筆型の黒か赤の単芯のものを使っていて、今もペン皿に何本か残っているが、このタイプのものはほとんど使わなくなった。4芯のものを使い始めると、軸が大きくて手にぴったりとおさまり、使い勝手がよいのである。

 学生のころや、社会人になってもしばらくは筆記具としては万年筆が主役であった。

 手紙を書く場合など、ボールペンでは相手に失礼という気分があったように思う。

 私も社会人になってからペリカンとかモンブランというやや高級万年筆を持っていたが、実際に使うことはめったになかった。万年筆はふだんから使っていればインクの出も良く、ペン先もなじんでくるのだが、めったに使わないとインクが乾いて出にくくなり、使い勝手が良くないのである。若いとき使った万年筆で、使いやすいと思ったものは1本もなく、その内に手元からなくなってしまった。

 それに比べ、現在のボールペンは使いやすい。 以前はインクが出なくて、いらいらする事があったが、最近のボールペンはそのようなことも無く、インクを最後まで使い切る事ができる。

 エジプトを旅行したときの事である。

 観光地でも街を歩いていても、日本人を見ると子供は言うまでもなく大人までも手を出して、「ボールペン、ボールペン」といって、ボールペンをねだってきた。

 レストランで食事をしたとき、私が手にしていたボールペンを見て、立派な風体のウエイターが「ボールペン」といって、私のボールペンを欲しがったのには驚いた。 

 エジプトでどうして日本のボールペンが欲しがられるか定かではないが、一つには日本のボールペンはインク切れが無く使いやすいことと、日本人観光客はボールペンぐらいなら気前よくくれるという評判が広まっているからではないかという。100円ショップで売っている安物のボールペンではエジプトの子供も欲しがらないそうだ。

 身の回りに中国製やベトナム製が増える中で、私の使っているボールペンはしっかりと「日本製」と書いてあった。

(写真の右端が現在愛用の4芯ボールペン)

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No397 新 緑

002  わが家の前に小さな公園がある。
 この公園は30年以上も前に宅地造成されたときの里山の一部が保存されたもので、昔の面影を残している。クヌギ、コナラ、ヤマザクラ、シラカシなどの他、公園が作られたときに植えられたと思われる黒松、イチョウ、トウネズミモチ、ニセアカシヤなどがあって、この時期は新緑が美しい。
 芽立ちの時期が木によって少しずつずれていて、黄色みを帯びた新芽と、緑の濃い生長した葉が混ざっていたが、今では緑がましてどの木も若葉色というのだろうか、緑が濃くなって見分けが付かないぐらいになった(写真)。
 ニセアカシアには白い花が咲いているが、シラカシやコナラは花を付けたのだろうか。秋になるとドングリがなるので、花が咲いているに違いないのだが、花に気が付いたことがない。
 私がこれまでに見た一番きれいだった新緑は、十和田湖から流れ出る奥入瀬渓谷の新緑だと思う。訪れたのは6月で、渓谷が淡い緑の天井に覆われて、それこそ緑のトンネルであった。 河原には緑の中にイチリンソウが白い花を咲かせており、透明な流れは岩にぶつかって白い飛沫を上げていた。
 秋のなると緑の天井が赤く染まって見事だというが、新緑の奥入瀬渓谷も素晴らしかった。紅葉は素晴らしい新緑があって初めて素晴らしい紅葉になるのであって、紅葉のきれいなところは新緑もきれいに違いない。
 7、8年も前になるであろうか、箱根の温泉パークに行ったとき、水着着用の露天風呂には台湾からの観光客がたくさん入っていた。ちょうど新緑のきれいなこの時季で、台湾の観光客は新緑がきれいで、素晴らしいと言っていた。
 考えてみれば、落葉樹があるから新緑がきれいなのであって、落葉樹がなければ新緑はそれほどめだたず、きれいと言うほどではない。
 台湾では高地を除けば常緑樹ばかりで落葉樹はないのだと思う。落葉樹がなければ、箱根で見られるような見事な新緑を見ることはできないし、素晴らしい紅葉を見ることなど到底できない事であろう。
 新緑のきれいなこの季節には緑の息吹を吸って、樹木の生気を取り込みたいと思う。

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No396 絵画講座

396hama わが家から車で5、6分のところに横浜美術短期大学があって、この大学の生涯学習センターで、美術の公開講座を受講するようになってから10年目になった。

 今年も5月から講座が開始され、私の受講も始まった。

 5月は毎土曜日5回のシリーズで、初心者から経験者まで、風景(1回)、静物(2回)、人物(2回)を自分の好きなように描き進めるというものである。大学の先生が講師で、受講生のレベルに合わせてアドバイスが受けられる。

 5月2日に1回目の講座があり、水彩、パステル、油彩など受講者が好きな画材を用いて、風景を描くものであった。

 9時半から始まって午前中2時間半、午後は1時から2時間半かけて1枚の絵を仕上げ、最後に個々の絵について先生から講評があった。

 私はこの数年、ずっと油彩で描いていて、この日も8号キャンバスに建物をバックにした新緑の風景を描いた(写真)。1日で描く場合、絵の具が乾かない上に絵の具を重ねると、絵の具が濁りやすいのでこの点に留意して描いてみた。先生からは新緑に存在感があって良い絵だと言われたが、先生の講評で悪く言われることはないので、先生の評価をそのまま満足するわけには行かない。

 私が絵を描き始めたのはリタイヤしてからである。それまでもスケッチ程度はしたことがあったが、現役の時はとても絵を描く余裕はなく、時間ができたら絵を描いてみたいという思いは持っていた。リタイヤしてから朝日カルチャーセンターの水彩画教室に通っていたところ、2年ほどして転居したので、現在の美術短大の生涯学習センターの絵画講座を受講するようになった。講座で15号前後の油絵を毎年10枚近く描いている。

 これだけの数になると絵の置く場所に困り、もらってくれる人もいないので、最近は絵を白塗りし、再使用ずる事にした。是非取っておきたいというほどの傑作はないので、白塗りしてもちっとも惜しくはないのである。描くときはいつも傑作のつもりで描いているのだが、こればかりは腕に問題があって思うようにはならない。

 とはいえ、いつかは区民展に入選するほどの絵を描きたいと思いながら描き続けている。

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No395 折込ちらし

395hama  私と同年代の知人から聞いた話である。

 リタイヤして10年近い年金生活者4名でゴルフに行くと、ハーフが終わって昼食の時はいつもながら、気楽な話で盛り上がる。現役の時は当たり障りのない仕事上のことやぼやきなどの話題が多かったが、最近は食べ物の値段のことなどふだんの生活が話題になる。

 「ここのお茶は高いね。近くのスーパーで69円だったので、ここは倍以上だね」

 「安いお茶はPB製品で、駅の自動販売機では500㍉㍑140円から150円ぐらいだから普通だよ」

 「一時何でも値上がりだったが、最近は以前に戻ったみたい。食パンも100円以下の物を見かけるようになった」

 とこんな調子で、まるで主婦の会話である。

 年金生活者は暇なので、だれも新聞を隅から隅までゆっくりと読むのだが、知人の話だと、新聞に挟み込まれてくる「折込チラシ」も一通りチェックするのだという。スーパーの目玉商品に目を付け、安い買い物ができると嬉しくなるのだという。

 現役の時は責任ある立場にあって、難しい仕事をしていた人がこんな会話をしたり、チラシをチェックしていると思うと、笑ってしまう。

 私も新聞をじっくり読むのが生活の一部になっているのだが、ふだん、折り込みチラシを見ることは余りない。相棒がチラシをじっくりとチェックしていて、目玉情報があると教えてくれる。ユニクロのチラシなどで新製品や安売り情報を知らせてくれるのである。

 私の住む横浜北部は新興住宅地だからかもしれないが、やたらと折込チラシが多い。金曜、土曜は特に多くて、4、50種ほどもあり、ずしりと重い。スーパーマーケット、家電、マンション・戸建住宅、衣料品、ピザ・すしの宅配、墓園と何でもありであるが、不況で自動車のチラシを見かけなくなり、全体として量は減っているように感じる。

 これらの中で関心のあるのはやはりスーパーのチラシで、先日相棒が留守の時、チラシで卵1パック98円と出ていた。ついでがあったので早速私も買ってきたところ、冷蔵庫に卵が残っていて、卵が20個近くにもなってしまった。

(写真は卵1パック98円のチラシ広告)

 

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No394 改札

394hama この数年で電車の改札風景が一変した。

 以前は切符を券売機で買い、切符を自動改札機に通して改札を通るのだった。最近はほとんどの人がカードを持っていて、改札口でカードをタッチして改札を通っている。切符を買い、切符を自動改札機に通している人ももちろんいるが、その割合は10人に1人ぐらいであろうか。朝晩の通勤時間帯だと、切符を買う人はほとんど見かけないほどである。
 私も3年ほど前からタッチ式の改札カードを使ってきた。このカードは券売機に現金を入れ、カードにチャージするタイプであったが、昨年末、クレジットカードと提携した改札カードに替えた。このカードはクレジットカードから自動的に料金がチャージされるので、現金をカードにチャージする必要はない。 このカードさえあれば切符を買わなくても、関東圏のJRと私鉄の改札口をすいすい通れることになり、バスもこのカードで乗れるようになった。料金はクレジット会社を通じて後ほど銀行口座から引かれる。
 便利になったもので、切符を買う手間が省け、乗り越しの精算などもしなくてすむようになり、駅の売店などの支払いもこのカードで可能で、駅近くの書店ではこのカードが利用できますとの掲示が出ていた。欠点は料金を意識しなくなって、電車賃がどれくらい掛かったか分からなくなることである。
 もう半世紀も前の学生のころになるが、電車賃を「キセル」でごまかしたことが何度かある。 「キセル」とは最短距離の切符を買って電車に乗り、降車するときは定期券で駅を出るので、中間は無賃乗車になる。 煙管(キセル)は吸い口とタバコを乗せる雁首(がんくび)にのみ金属を使用することから、こんな名称が付いたようで、学生などは電車賃を安くしようとするばかりでなく、どれぐらい無賃乗車したかを吹聴し、自慢したものである。
 定期券もタッチ式のカードになったので、キセルのような不正乗車ができなくなり、会社は少し増収になったかも知れない。
〔写真はJR東日本の 改札カード(VIEWカード見本)〕
 前回の答え【指恋(ゆびこい)】好きな人と携帯でメールをすること。相手に自分の思いを伝えようとすること。《語源》親指で文字を打つことから

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No392 半径5メートル

392hama 朝の生活情報番組「はなまるマーケット」を見ている方はご存じの通り、この番組の「はなまるカフェー」のオープニング曲が新しくなった。

 「はなまる はなまる あなたのはなまるカフェー」という新しい歌声は今売り出し中の秦万里子さんの声である。

 私が秦さんのことを聞いたのは、ラジオで「半径5メートル」の話を聞いたのが最初で、その時は何のことか分からなかった。その直後、「はなまるマーケット」に秦さんが出演し、秦さんのデビューCDが「半径5メートル物語」だと分かった。「半径5メートル」とは主婦を中心として周囲5㍍という意味で、主婦の身近な出来事といった意味合いである。

 秦万里子さんは東京都出身の53才、国立音大ピアノ科出身、渡米して作曲、編曲、指揮、ミュージカル、ジャズを学んだ。帰国後子育てに専念したあと音楽活動を再開し、1月に先ほどのCDを発売して、メジャーデビューした。

 駅前のホールで、秦万里子さんのコンサートがあるというので聞きに行った。秦さんが金髪のおかっぱ、はかま姿でステージに登場し、ピアノ演奏の後、このコンサートのために編成したという主婦50名のコーラス隊と秦さんで「女はバーゲン」「男はラーメン」と賑やかな合唱で始まった。

その歌詞の一部を紹介すると

「あー/女はバーゲンバーゲン/何でもかんでもバーゲンバーゲン/あの街この街バーゲンバーゲン/命がけだわ/だって女はバーゲンバーゲン/夏物冬物バーゲンバーゲン/行かなきゃ損損バーゲンセール・・」といった調子である。

 合唱は2曲だけであとは秦さんの弾き語りであった。曲目を挙げると、「迷うランチのABC」「半径5メートルメドレー」「レジ待ちの列」「花粉の歌」などすべて自身の作詞作曲で、達者なトークを挟んで約2時間のコンサートであった。

 ピアノも歌もとても達者だが、歌の内容はお笑いである。私はコンサートに行ったというよりも、寄席に行った気分であった。

「綾小路きみまろと綾戸知恵を足して2で割ったのが秦万里子」との評があった。年末の紅白を狙うということのようだったが、秦万里子は大ブレークするだろうか。

(写真は秦万里子コンサート パンフレットから)

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No390 映画「おくりびと」

390hama 映画を観るのは年に2~3回である。

 映画にそれほど関心があるわけではないが、「おくりびと」がアカデミー賞外国映画賞を取ったとなると、これはもう見逃せないと、映画館に足を運んだ。

 この日、私は早起きして、WBCの野球を観たものだから睡眠不足で、アカデミー賞映画でも途中で眠くなるのではないかと懸念していた。 ところが心配することはなく、、映画が始まるとスクリーンに引きこまれ、眠くなるどころか途中からは感動で涙が出て仕方がなかった。

 映画は納棺師にまつわる物語である。

 映画がアカデミー賞を取って紹介記事が出るまで、納棺師という言葉を知らなかった。納棺師とは人が死んだとき、その遺体を清め、死装束を着せ、化粧して、棺に納めるのを仕事としている人だという。

 映画ではベテラン納棺師(山崎努)の下で、新人納棺師(本木雅弘)が修行しつつ成長し、死にまつわる様々な人間模様がえがかれている。

 アイドルグループ「シブがき隊」で「もっくん」と呼ばれていた本木雅弘が納棺師を見事に演じていて、素晴らしかった。多くのアイドルたちが消えゆく中で、見事に俳優に転身した本木雅弘に拍手をおくりたい。

 山崎努は私と同い年で、黒沢映画「天国と地獄」で犯人役として登場したときのことを思い出す。その時はいちずな青年という感じだったと思うのだが、50年近くの年月がそのまま刻まれて、風格が漂っている。

 この映画はアカデミー賞外国映画賞を取ったほか、国内でも日本アカデミー賞の賞を総なめし、他にもたくさんの賞を受賞している。最近の日本映画の中では最高傑作であろ。

 ただこの映画が映画の本場アメリカでアカデミー賞を取ったのは、映画が傑作であったという事だけではないように思える。日本人が遺体に敬意を払い、遺体に細やかな気配りをして扱う態度が、外国の選考委員にも感銘を与えたのではなかろうか。

 映画で取り上げることはタブーではないかと思えるような遺体を扱うことで、この映画は日本人の精神構造を映し出している。納棺という最後の別れが、新しい旅立ちとして浄化され、美化されている。

(写真は「おくりびと」HPから、山崎努と本木雅弘)

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No389 ツバキ

389hama  玄関わきのツバキが満開である。

 この木は数年前に30センチほどのポット苗を植えたもので、年々大きくなり、今年は私の背丈ほどまで伸びて、赤い八重咲きの花をたくさん付けている。

 先月末ごろ、幹の中程から伸びる枝に白っぽいつぼみがあり、赤い花のツバキに白い花のツバキが咲くものかと、不思議に思っていたところ、これがやはり白いツバキであった。枝を調べてみると、あと二つのつぼみがあり、白い花びらを見せていた。この枝からは赤いツバキに代わって白いツバキが咲くのである。

 わが家のツバキは、1本の幹から赤い花に混じって、白い花を付ける文字通り紅白のツバキだと分かった。

 ツバキと言えば、普通にはヤブツバキのような赤い花が代表的で、ツバキの英語名カメリアに由来するカメリア色は赤い色である。

 実際には白ツバキもあり、赤い地に白い筋や斑の入ったものや白い地に赤い筋の入った紅白と呼ばれるツバキもある。

 奈良の白毫寺(びゃくごうじ)には五色ツバキと呼ばれる有名なツバキがあり、先日寄ってみたが、ツバキはまだ咲いていなかった。説明書きによると、五色と言っても5色の花が咲くのではなく、「紅色のもの、白色のもの、紅白絞りのものなど色とりどりで」とあり、紅色から白まで、広範囲の紅白混じりの花が咲いて、五色のツバキと呼ばれるようであった。

 このツバキは別名「七福神」とも呼ばれて縁起の良いものだという。

 インターネットで調べてみると、赤いツバキの木に白いツバキが咲いたという記事が出ていて、赤いツバキの中に白いツバキが咲くこともまれには起きるようである。ただ、どれぐらい稀なのか、また毎年白いツバキが咲くのかどうかは分からない。

 わが家のツバキはまだまだ若木なので成長してどのような花を付けるようになるのか楽しみである。来年は元に戻って赤い花だけになるのだろうか、それとも来年も赤い花に混じって白い花が咲くのだろうか、紅白しぼりの花を咲かせるのだろうか。

 来年のことは別にして、今年は紅白のツバキが咲いて縁起が良く、今年は良いことが起きると期待しよう。

 (写真はわが家の紅白ツバキ)

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No381 ロウバイ

381hama  ロウバイが満開である。

 駅までの道筋の、何軒かの庭にロウバイがあって、うす黄色の花を付けた枝がのぞいている。正月のころから花が咲き始めたように思うのだが、今も全く散ることなく咲き続けている。

 しかしながら、ロウバイが冬晴れの青空の下に可れんな花を見せ、甘いような香りをただよわせても、チョウはもちろんのことミツバチも飛んでこない。暖かくなって咲けば、チョウやミツバチが寄ってくるのに、どうしてロウバイはこの寒い時季に咲くのかと思ってしまう。

 チョウやミツバチが来なくても、ロウバイは秋になると立派に実を付けるというが、私はロウバイの実を見た記憶がなかった。と言うより、実がなっていても意識して見ていないので気がつかなかったのであろう。

 先日、花の咲いているロウバイをよく見てみると、ミノ虫の巣をややずんぐりとさせたようなものが枝に残っており、これがろうばいの実であった(写真)。

図鑑で見ると、秋にみのったときの実はザクロの実に似た形をしていて、指先ぐらいの大きさである。ロウバイが咲くころになると、残った実が枯れて、まるでミノ虫の巣のように見える。 ミノ虫の巣のような実を割ってみると、小豆ぐらいの黒いタネが3個か4個入っていた。このタネをまくと実生でロウバイが育つという。

 ロウバイは「”ろう細工”のような、梅に似た花」から 「ろう梅」と名付けられたと言う説が有力で、確かに黄色い花びらは半透明でろうのような光沢が感じられる。英語では「ウインター・スイート」と呼ばれるそうで、「スイート」はここでは「かわいらしい」という意味であろう。

学名はキモナンサス・プラエコックスといい、キモナンサスはギリシャ語で「冬の花」を意味し、プラエコックスは「早熟の」または「早咲きの」という意味だそうで、文字通り「早咲きの冬の花」が学名となっている。

 花言葉は「先導、先見」。ほかの花に先駆けて真冬にいち早く咲くこの花をよく表している。

 春には遠い、まだまだ寒い時季であるけれども、ロウバイの花を見ると、やがてやってくる花の季節に思いがゆく。

 梅のつぼみは先が白くなっており、椿のつぼみも赤い花びらが見えてきた。

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No380 いきいき健康農園(11)

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 「いきいき健康農園」について書いたのはほぼ1年前のことになり、その時、「そら豆に挑戦している」と書いた。それまで2度そら豆を失敗しているので、今年こそは再挑戦し、そら豆をたくさん収穫したいということであった。

 その結果については6月にこのエッセーに書いており、大成功で、自分でもたくさん食べ、娘や知り合いにもおすそ分けして大いに喜ばれた。

 そら豆がうまくいったので、これも今までに2度失敗している枝豆に挑戦した。失敗した2回は4月に種まきし、2回とも豆に虫が入って、まともな豆が採れなかったので、まき時を遅らせて6月に種をまいた。  収穫期を遅らせると虫害が防げると何かで読んだからである。

 7月末、豆を摘んでボイルしてみると、まだやや若いが十分に食べることができておいしかった。 もう少し熟すのを待って収穫しようと数日して実を摘んでみると豆が黒くなっていた。豆に虫が入って変色し、食べられないのである。それでも2個に1個か3個に1個はまともさやだったのだが、2、3日して次に行ったときは全滅状態であった。今年も枝豆は虫にやられ失敗だった。

 ジャガイモ、玉ねぎ、インゲン、オクラ、リーフレタスなど春夏の野菜は例年通りの上出来で食べきれないほど採れ、ジャガイモは今も残っていて、しわになって芽が出ているのを芽を欠きながら食べている。

 今夏の特筆すべきは初めて作ったゴーヤがたくさん採れたことで、毎日毎日ゴーヤ攻めに遭うほどだった。

 秋冬野菜は里芋、サツマイモ、ショウガが例年通り採れ、大根、キャベツ、白菜、カブ、水菜、ほうれん草などは今も収穫中で、どれもスーパーに並んでいるものに負けない品物ばかりである。大根は今年もとても食べきれないので、切り干し大根作りを始めた。

 「いきいき健康農園」を市から借りて5年となり、この1月31日で借用期間が終了する。

 継続して借用するには改めて利用申し込みを行い、利用者が多い場合は抽選が行われる。先日、利用申込みをしたのだが、希望者が2倍以上になっているようで、残念ながら今年からは野菜作りができないかもしれない。

(写真は収穫したショウガ)

 

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No379 正月

379hama  今年の正月は快晴で、その後も良い天気が続いている。

 この季節は冬型気圧配置になって、関東は冬晴れになることが多いのだが、今年のように連日、雲一つない快晴になるのは珍しい。

 北からの季節風が強くなると、新潟など日本海側は雪となり、季節風が関東北部の山を越えるとすっかり乾燥して関東地方は良く晴れる。今年の正月、関東地方が良い天気になったかわりに日本海側は雪模様のうっとうしい天気になったようで、日本海側の人々に申し訳ない気がしないでもない。

 良い天気に誘われて、元旦に歩いて30分ほどの小さな神社に初詣に出かけた。コートを着ないで厚手のベストを着て出かけたのだが、それでも太陽が照っている中を歩くと汗ばむほどであった。

 神社に着いて驚いた。神社に登る石段から道路まで参拝者の行列ができていた。

 3年ほど前、近くの大きい神社へ初詣に出かけたとき、寒風の中に行列が出来ていて参拝しないで帰ったことがあった。今年は小さな神社で、行列が出来るほど初詣の人がいるとは思っていなかった。

 急ぐ用事もないので列に並んでいると、思ったより早く、30分もかからないで社殿の前に進んだ。帰りに見ると、行列は来たとき以上に長くなっていた。

 テレビニュースを見ていると、年末には成田空港の出国風景、新幹線の帰省客、高速道路の渋滞風景などが映し出され、だれもが海外旅行に出かけたり、郷里に帰ったりして、東京はがらがらになっているように思ってしまう。確かに正月の東京は車が少なく道路が空いているが、これは仕事が止まっているからであって、人間がそれほど少なくなっているのではない。割合からいえば東京を離れている人よりもはるかに多くの人が正月を自宅で過ごしており、その人達が近くの神社へ散歩をかねて初詣に出かけている。

 「今年は良いことあるごとし、元旦の朝、晴れて風なし」と詠んだ石川啄木の歌が朝日新聞元旦の天声人語に出ていた。関東地方は文字通り「元旦の朝晴れて風なし」で、今年はたくさん良いことがあってほしいと思うし、昨年来の急激な不況から回復の兆しがあればよいと思う。

(写真はわが家の正月飾り)

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新春随想 所かわれば人かわる

 私が就職して初めて福岡の工場へ赴任することになったとき、だれからだったかは覚えていないのだが、「九州の女性には気を付けなさいよ」と言われたのを覚えている。九州の女性は情熱的だから、すぐにほれられるので気を許すと身動きできなくなる、というのである。

 私はこの言葉が頭に残っていて、女性に対していつも心にプロテクターを付けていたのが幸いだったか不幸だったか、身動きできなくなるような事態にはならなかった。

 ほれられるという所までゆかなくても、九州の人は男も女もオープンで、だれでも気軽に話ができる人たちである。

 電車やバスに乗り合わせたとき、こちらがよそ者だと分かるとそれこそ何でも話しかけて教えてくれる。

 店先で珍しい魚などを見て、食べ方などを聞こうものなら、それこそわれ先に料理のやり方を話してくれる。

 さらに、九州人は酒が入るとの一段とこの持ち味を発揮し、九州での酒席は男も女も話が飛び交い、笑いが絶えずにぎやかな事この上ない。

 九州といっても福岡から鹿児島まであって、土地のよって違いがあり、人それぞれで同じではないであろうが、私が九州で接した人は多くの人が陽気で話しやすい人たちだった。

 九州を離れ、東京や横浜で生活していてさらにこの思いを強くした。気さくな人だなあと思って、出身地を尋ねると九州出身の人だったということが時々ある。私が通っているスポーツクラブで向こうから話しかけてきた人は九州出身者だし、旅行などで一緒になり気軽に声をかけてくる人が九州出身者だと後で知って「なるほど・・・」と思ったものである。

        ◇                    ◇

 新潟と富山の県境は北アルプスが海までせり出していて、平地はほんのわずかしかない。この地の工場に勤務し、9年間を過ごした。

 日本海側は11月になるとどんよりと曇った日が多くなり、雨模様の日が多く、やがてみぞれになり、雪のシーズンになる。

 最近は雪が少なく、道路の除雪体制も整っているので、車やバスが止まることはないのだが、それでも雪国の冬はうっとうしい。

 この地に生まれ育って、九州の女性と結婚した男性がいた。この女性はPTAの役員をし、ママさんバレーでも活躍し、地域の世話役などもしてすっかり地域になじんでいた。ある時、女性の集まりで、「お宅の御主人は優しそうな方で、どちらのご出身ですか?」と聞かれ、だれもが婿養子だと思っていたのである。その女性は「私がはるばる九州から嫁いできたのです」といって大笑いになったという。

 この土地の人たちは男も女も九州人ほど口数が多くはなく、しずかな人が多かったように思う。

 何度か、登校する女子高生集団と一緒になったことがある。どの子も色が白くてかわいく、新潟には美人が多いというのはもっともだと納得した。女子高生は全く素のままなので、女子高生がかわいいと、その土地には美人が多い。 

 新潟の冬は寒いけれども湿気を含んでいて、きめの細かい肌の色白美人を作るのではなかろうか。その上、新潟の女性は口数が少なく控えめで、働き者である。

        ◇                     ◇

 定年前の4年間を群馬で過ごした。群馬は古くは上野(こうずけ)とか上州と呼ばれた土地で、「かかあ天下と空っ風」「赤城山に忠治とバクチ・・・」などが名物と言われてきた土地柄である。

 「かかあ天下」ではなくて「かかあ天下一」の「一」が省略されたものだと地元の人は弁解していたが、私は「かかあ天下」で間違いないと思っている。群馬は養蚕が盛んだった土地で、その担い手は女性であり、富岡製糸での働き手も女性で、女性の稼ぎが多かった。稼ぎが多いと女性の地位も高くなり、「かかあ天下」となったのではないか、という説が有力である。

 これまでにも書いたことがあるけれども、群馬の葬儀はまさに「かかあ天下」を象徴するようなものである。自宅で葬儀を行うとき、室内の祭壇の周りには僧侶と女性だけが集まって、男性は喪主といえども庭先に立って式が進められ、男性は家の中に入れてもらえない。

 「忠治とバクチ」というとずいぶん古いことのように聞こえるかもしれないが、群馬県はつい最近まで競馬(高崎)、競輪(前橋)、競艇(桐生)、オートレース(伊勢崎)と公営ギャンブルは何でもそろっていた。残念ながら高崎の競馬場が数年前に閉鎖になったようだが、パチンコ台の多くは今もメイドイン群馬である。

 このように書くと、ギャンブル好きの男性と、その手綱をしっかりと握っている女性というイメージが浮かんできそうだが、それでは男性が黙ってはいないだろう。

 群馬はこの30年ほどの間に、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の4人も総理大臣を出しており、戦後4人も総理大臣を出している県は群馬だけである。

 群馬の男性はギャンブルだけではないのである。

        ◇                    ◇

 現在、私は横浜市の北部に住んでおり、この地に移って間もなく10年になる。18歳まで過ごした郷里を除けば、連続して住んだ土地としては横浜が最長になった。以前、東京に住んでいたこともあり、東京・横浜等首都圏に住んだ期間は合わせれば20年近くにもなる。

 そこで、「東京や横浜の住人はどんな人」と聞かれると困ってしまう。

 東京や横浜は全国各地からやって来た人たちの集まりで、ニューヨークが人種のるつぼと言われるのにならえば、東京は全国各地出身者のるつぼである。人種のるつぼであれば肌の色や言葉などで区別がつくが、全国各地からの出身者は見た目では区別が付かない。

 強いて東京・横浜人の特徴を上げれば「歩くのが速い」「無口な群衆」「エスカレーターの左に立つ」などが思い浮かぶが、それほど際立っているとも言えない。

 街を歩いていたり、電車に乗ったりしていて気が付くのは、東京では男女ともスーツ姿が多いように思う。 それも最近はとんど黒に近いスーツが多く、向こうからスーツ姿の男性が数人で連れだって歩いてくると、ギョッとする。

 女性の場合も、ビジネス街などに行くと黒のパンツスーツの女性ががやたらと目につく。最近の女性は背が高いので、かかとの少し高い靴をはくと、私より背が高い人も多い。黒いパンツスーツでさっそうと歩いている女性を見ると、それだけで仕事も出来るのだろうなと思ってしまう。

 東京に限らず横浜や千葉・埼玉の人たちは多くが東京のビジネスマンである。その人間性も人と人とのつながりも、その人の仕事に基づくものであり、仕事が人間を作っている。

                ◇        ◇         ◇

 ずいぶん昔のことだが「結婚するなら、朝ご飯を一緒に食べたいと思うような人が理想です」と言った人がいた。私はこの説に全面的に賛成する事もできないが、一部は当たっているようにも思う。

 九州の女性と朝食を食べるとなると、朝から高いテンションにつき合わされて、まだ完全にはさめてない頭にはきつすぎる。朝食の相手は口数が少ない色白の新潟美人が好ましい。

 家庭のかじ取りは群馬の女性にまかせておけば安心で、仕事の秘書は東京の女性に限る。

 仕事を終えてからのつき合いは九州の女性がよい。にぎやかで楽しいのは九州の女性で、新潟の女性では座がもりあがらないし、群馬の女性では説教されそうだ。

 それではわが郷里・愛媛の女性はどうであろうか。

 愛媛を英語に訳せば「ラブリー・プリンセス」となり、「愛(いと)しいお姫様」という意味である。

 ラブリー・プリンセスはやや控えめな点はあるが、すべてを備えた女性で朝食も昼食も晩飯も一緒にしたい相手である。

 ついでながら、私の相棒は元ラブリープリンセスである。 (完)

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No378 大人の休日倶楽部

378hama  家庭菜園の仲間が「大人の休日倶楽部」で函館に行ったと話してくれた。

 JR各社には運賃が割引になる「ジパング倶楽部」と呼ばれる会があることはこれまでにも聞いたことがあったが、「大人の休日倶楽部」については初めて聞いた。

 調べてみると、「大人の休日倶楽部」はJR東日本の会で、会員になるとカードが届き、このカードは首都圏のJR・私鉄で使われている自動改札カードの機能とクレジットカードの機能を持っており、銀行口座と連動して自動改札の料金が銀行口座から自動的に引き落とされる事になっている。運賃割引はJR東日本は30%、その他のJRは20~30%となっている他、旅行閑散期に年4回、3日間フリー切符というのがあって、これを利用すると北は函館から西は福井まで1万2千円で乗り放題ということであった。さっそく年3千円程の会費を納め、夫婦で入会した。

 フリー切符は2月、6月、9月、12月にそれぞれ2週間程利用できる期間があり、JR東日本管内なら新幹線も指定席も利用できる。

 今年最後の利用期間は12月6日より12月18日までとなっており、さっそく1万2千円のフリー切符を試してみることにした。

 まず行き先を決めねばならないが、東北新幹線で終点の八戸まで行くことにし、近くの古牧温泉・青森屋に宿泊することにした。インターネット予約だと特別割引で一人1泊2食7000円となっていて、安すぎるような気がして少し不安もないではなかったが、安いことに超したことはないと予約を入れた。

 東京から東北新幹線で約3時間、東北の冬景色を眺めているうちに八戸であった。八戸で、B級グルメで全国第2位になったという郷土料理「せんべい汁」をたべ、在来線で約10分、古牧温泉に着いた。宿泊の青森荘は大きなホテルで、懸念することは何もなかった。

 温泉には水面に浮かぶ露天風呂があってとても気持ちが良く、バイキング料理は品数が多く味も良かった。

 翌日は東北有数の海産物市場だという「八食センター」に行き、七輪で焼く貝やイカ、エビのバーベキューを楽しんだ。

 「大人の休日倶楽部」最初の旅は、今年のあかを流して、すこぶる付きの満足な旅であった。

 (写真は「大人の休日倶楽部」の会員証)

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No377 落ち葉

 落ち葉の季節である。

 街路樹のケヤキ、トウカエデ、イチョウが葉を落とし、歩道に落ち葉が積もっている。中でもイチョウの377hama落ち葉は色鮮やかで、歩道に黄色いじゅうたんを敷いたようだ。

 わが家の前に小さな公園があり、この公園は宅地造成前の雑木林の一部が残されたもので、ナラ、クヌギ、ニセアカシヤ、山桜などの落葉樹が多く、12月になると落葉が始まる。落ち葉が公園内に積もるのなら何にも問題ないのだが、風に吹き寄せられ、わが家の前の道路から車庫前が落ち葉のたまりとなってしまう。この季節は北風が強い日が多くて、公園の落ち葉は公園内に落ちないで道路を挟んだわが家の方に押し寄せるのである。

 相棒はお金がこんなに集まってくるのなら良いのにと言いながら、落ち葉を集めてゴミ用のポリ袋に詰めており、落ち葉の袋は一度に4個も5個にもなる。この落ち葉のポリ袋はゴミ収集に出すのだが、畑をやっている隣のおじさんが「肥料にするから持ってゆくよ」といって、軽トラに積んでゆくこともある。

 落ち葉だけでなく、庭木や垣根を剪定した小枝も束ねたりポリ袋に入れたりして、ゴミ収集に出すので、市のゴミ焼却は大変である。

 「たき火」という童謡がある。

  垣根の垣根の曲がり角

たき火だたき火だ落葉たき

あたろうかあたろうよ

北風ピープーふいている

 この童謡は昭和16年に発表されたものだというが、昔、落ち葉などはどこでも燃やしていたと思う。最近は落ち葉でたき火をしているのを見ることは全くなくなった。都会地では一戸建ての庭が狭いのでたき火が難しく、例えできたとしても、洗濯物が汚れると近所からクレームが来そうだし、場合によっては火事と間違えられて消防車がきそうである。

 つい最近、公園内に板で囲いができていて、何だろうかと近づいてみると、「堆肥置場」とあり「この中に入れるのは落ち葉だけだよ」と書いてあった(写真)。管理者は公園愛護会とあり、公園の利用者が自主的に設けたもののようである。

 これで落ち葉をゴミ収集に出さなくても良いことになったが、できた堆肥はどうするのだろうかと気になっている。

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No376 三つ星レストラン

376hama 2007年1月に国立新美術館がオープンした。これに合わせて、フランスの三つ星レストラン料理人ポール・ボキューズ氏のレストラン「ポール・ボキューズ」も美術館3階にオープンした(写真)。

 オープン当時はフランスの三つ星レストランの料理が日本で食べられるということで話題になり、大変な人気で長い行列ができていた。オープンして半年ほどたってから行ってみても長蛇の列ができていて、1時間半待ちということで諦めたことがあった。

 先日、美術館のピカソ展に行き、ポール・ボキューズのレストランでランチを食べてみたいと寄ってみた。12時過ぎに着くと、行列ができていたが、20分程待って席に着くことができた。

 既に1800円のランチコースは売り切れで、2680円のランチコースにコーヒーを付けて、3060円のランチを食べることにした。前菜、メインディッシュ、デザートがそれぞれ3種類の中から選べるようになっていて、私は栗かぼちゃのスープ、肉料理を選び、デザートは中味が判らぬまま適当に選んでウエイトレスに注文した。パンは何個でもお代わりできて、水も自由であった。

 デザートは「昔ながらのゴーフル」というのを注文していたところ、出てきたのは以前流行したベルギーワッフルの形をしていて、後で調べてみるとワッフルのことをフランス語でゴーフルと呼ぶようである。

 スープも肉料理もデザートも、どれも美味しく、パンはかめばかむほど味がして、4切れも食べて、腹の方も満足であった。満足ではあったけれど、さすがと思わせるほど感動することもなかった。

 ポール・ボキューズのレストランはこのレストランに続いて、5店オープンしており、このうち渋谷の1店だけがミシュランガイドで一つ星をもらっている。フランスの本家が三つ星だからといって、日本の店が美味しいとの保証は何もないし、この日の値段ぐらいのランチで感動するほどの料理を期待するのが無理というものかもしれない。

 アジの塩焼き、ほうれん草のおひたし、みそ汁、ご飯、漬け物のわが家の夕食とこの日のランチを比べたとき、どちらを食べたいかと聞かれれば、アジの塩焼きの方も捨て難い。

(「まかないランチ」に料理の写真を載せています)

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No375 アメダス

375hama  だれでもアメダスという言葉を聞いたことがあると思う。アメダスとは気象庁の「地域気象観測システム」の通称で、全国約1300カ所に気象観測所が置かれ、降水量、気温、日照時間、風向・風速等が常時測定されている。データーは気象庁に集められ、全国に配信し、気象の予報や災害の予防に役立てられている。

 テレビの天気予報を見ていると、全国地図に気温や雨の地域などが色分けされて示されることがあり、これがアメダスによるものである。

 インターネットで天気予報を見ると、予報には必ずアメダスが付いている。私は出かけるときなど天気を確かめるためには必ずこのアメダスを見る事にしている。

 アメダスで静岡辺りに雨が降っていると、天気は西から東に動くので、横浜は2、3時間後に雨になる事が多い。

 さらにインターネットの天気予報にはレーダーによる雨雲の観測データーと雲の衛星画像があるので、これらのデーターから数時間後の天気ならかなり精度良く予測できる。関東より西側に雨がなく、レーダーでも雨雲がなければ、半日ぐらいで雨になることはまずない。

 先日、家庭菜園まで行ってショウガや里芋を収穫してこようと思ったが、厚い雲がたれていたので例によってアメダスを調べてみた。アメダスでは浜松辺りまで雨になっていたが、レーダーでは近くに雨雲はなかったので、2、3時間は降らないだろうと、安心して出かけた。

 ところが菜園に着いて15分もするとかなり強い雨になってしまった。こんなはずではなかったと思ったが、もう遅い。菜園の物置小屋で雨宿りをしていた。

 物置小屋から何げなく少し離れた住宅を眺めていると、その住宅からもこちらを眺めている人がおり、そのうちにその人が傘をさして、足早にやってきた。年配の奥さんで、どうぞお使い下さいと、使い捨ての透明なビニール傘を差しだした。雨宿りをしている私を見てわざわざ傘を届けてくれたのである。厚意を有り難く受けて、小さなショウガをお礼に差し出した。

 私の天気予報が当たらなかったのは残念であったが、優しい人情に触れたので、とてもすがすがしい気分であった。

 (図は12月9日22時のアメダス降水量)

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No374 横浜開港150周年(5)大さん橋

 戦前まで横浜港は貿易の面でも、外国への往来の点でも日本で一番重要な港であった。

 3741hama 戦後は様変わりして空の時代となり、貿易港としても東京や名古屋が多くなった。といっても、大型客船の寄港では横浜が日本で一番多く、横浜港は日本の海の玄関口であることに変わりはない。

 横浜港には2002年、長さ430㍍、幅70㍍の大さん橋が完成し、3万㌧クラスの大型客船なら同時に4隻、5万トン超の大型客船なら同時に2隻着岸できるようになった。この大さん橋は「横浜大さん橋国際客船ターミナル」というのが正式名称で、日本に寄港する大型客船のほとんどがここに着岸する。

 大さん橋は3階建ての鉄骨構造で、地下は機械室、1階が駐車場、2階が出入国ロビーや税関、店舗などで、屋上が広場となっている。屋上広場は送迎デッキともなっており、船の甲板をイメージした板張り部分と芝生部分があって、ここからの眺めが素晴らしい。

3742hama  私はだれかに横浜を案内するときはここに来ることにしており、私が横浜で一番好きな景観である。湾の入り口にはベイブリッジが見え、北側にはランドマークタワーやホテルなどの高層ビル群、南側には横浜マリンタワーや山下公園などが見える。

 私はこれまで何回か大さん橋に来ているが、大型客船が停泊しているのを見たことはなかった。先日、日本の客船で一番大きいという飛鳥 Ⅱが来るというので見に行ってきた。

 開港記念広場の方から大桟橋入り口に向かうと、さん橋の左側にビルのような船が見えてきた。これが飛鳥Ⅱで、船首を港出口に向けて停泊していた。さん橋屋上に上がっても、飛鳥の上甲板ははるか上の方にあって、思っていた以上に大きい。

 飛鳥Ⅱは50142㌧、全長・全福241㍍×29.6㍍、乗客定員800名、郵船クルーズ社所所有の客船である。

 船の最上階は12階になっているようなので、12階建、長さ240㍍のビルが海に浮かんでいるようなものだ。

 この日は17時に出航して2泊のクルーズだそうで、ボツボツ乗船客が集まっていた。私も話の種に一度は乗って見たいと思っている。

(写真上:さん橋入り口から見た飛鳥Ⅱ、写真下:さん橋の対岸から見た飛鳥Ⅱ)

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No373 横浜開港150周年(4)タマクスの木

3731hama  このシリーズの1回目「横浜・いまむかし」で、ペリーが上陸したときの絵が残っていると書いた。その絵には右手に葉の繁った1本の木が描かれていて、この木がタマクス(玉楠、タブノキ)だという。開港後、この木の付近が外国の領事館用地となり、タマクスは英国領事館の敷地内に取り込まれた。

 タマクスは明治大正期を通じて横浜を代表する銘木に生長したのだが、関東大震災で火災に遭い、地上部が焼けてしまった。しかしながらタマクスの生命力は強く、焼けた株の根から芽が出て、再び英国領事館の庭に緑の葉を繁らせるようになった。

 当時の英国領事館は、現在、横浜開港資料館として使用されており、タマクスの木はその中庭に今も健在である。  数年前、開港資料館を見学し、タマクスも見たのだが、先日再度、開港資料館に行き、タマクスの木を見てきた。十数㍍四方と思われる中庭にタマクスがあり、7~8本の株立ちとなって2階の屋根ぐらいの高さまでこんもりと茂っていた。大きい幹で一抱えぐらい、葉のつやが良く元気そうであった。人が踏みつけないよう株の回りにさくが作られており、周りの土には木くずのようなものがまかれていて、大切にされていた。

3732hama  横浜開港150周年協会ではこのタマクスをイメージし、マスコットキャラクターとして「たねまる」をつくった。協会は「たねまる」について次のように述べている。

 『「たねまる」はタマクスの精で、タマクスは150年前、日本が開国・開港をした時から、ずっと日本を見守ってきました。次の150年に向けて新しい「チカラのたね」を乗せ、アジアへ、世界へ向けて2009年「出航」します』

 タマクスの横を通って、展示室ものぞいてみた。中学生が団体で来ていて、開港関係の資料を書き写していたが、一般の入場者は私の他に1名いるだけであった。

 開港資料館の前は開港記念広場になっていて、これも1回目に書いた「開港記念碑」があり、噴水を囲むように置かれたベンチにはスケッチをしている人がおり、弁当を食べている人もいた。 開港記念広場からさらに海の方に行くと、巨大客船が着岸する大さん橋に通じ、横浜の海の玄関口である。

(写真上:タマクスの木、イラスト:「たねまる」)

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No372 現代美術

372hama  横浜では現代美術の展覧会「横浜トリエンナーレ2008」が開かれている。トリエンナーレとは「3年に1度開かれる展覧会」のことで、元の意味はイタリア語で「3年に1度」を意味しており、「2年に1度」はビエンナーレである

 今回の横浜トリエンナーレは3回目で、横浜港周辺の市内7会場で開かれており、1日ではとても回りきれないので、先日、その内2カ所を観てきた。

 美術展といえば、壁面に絵が飾られるのが普通だが、現代美術展は違っている。私が回ったのは新たに作られたメイン会場と赤レンガ倉庫1号館で、両方とも広い空間が大小様々な部屋に区切られていて、一つの部屋に一作品が展示されていた。

 作品は床に並べたもの、天井からつるしたもの、暗い部屋で映像が映っているもの等様々である。ゴミを詰めたプラ袋を並べたような作品、三方の壁にたくさんの壊れた鏡が掛けられた作品、狭い通路のような空間に詩のような文章が書かれている作品、映像作品、その他多岐にわたる作品が展示されていた。現代美術の中には人間が演じるもの(パーフォーマンス)もあるのだが、この日はやっていなかった。

 現代美術は作品を通じて作者がいろいろなメッセージを発しているというのだが、作品からのメッセージを読みとり、理解することはかなり難しい。作品の意図を理解しなくても、作品の前に立って心地よいものであればそれでも良いと思うのだが、そのようにも感じなかった。

 展示されていた作品からは「美」が感じられず、これが美術だろうかと首を傾げたくなるものばかりであった。

 目や鼻、口などが横を向いたり正面を向いたりしたピカソの人物画を見たのはもう半世紀も前になるだろうか。 その時はひどく変形された顔にこれが絵だろうかと驚いたが、今では違和感を抱かなくなり、素晴らしい絵と感じるようになった。抽象絵画も最初は良いと思わなかったが、抽象絵画も素晴らしいと思えるようになった。

 現代美術も見続けていればピカソのように良さが分かるようになるのだろうか。現代美術を理解するには時間がかかりそうな気がする。

 (写真は後日撮影した作品)

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No371 高尾山

高尾山はミシュランガイドの観光地格付けで★★★と評価され、たいへん意外であった。日光や京都・奈良などが高い評価を受けるのは納得できるが、高尾山がこれらの場所と同じ評価なのが理解できなかった。

371hama  高尾山は東京の西、八王子にあって標高599㍍、桜や紅葉の名所として知られている。私はこれまで行ったことがなかったが、先日ようやく行ってきた。

 電車でおよそ1時間で高尾山口駅に着いた。ここが高尾山の登り口であり、ケーブルカーとリフトの起点となっている。遠足らしい小学校のグループが何組かいて、ケーブルカー待ちをしていたので、私たちはリフトに乗った。およそ10分リフトに乗り、山頂を目指して歩いた。

 紅葉にはまだ早く人が多いと言うほどではなかったが、それでも前後に人が切れることはなく、中高年の女性が多かった。ミシュランで評価されたので外国人が多いかと思っていたが、外国人は日本人ガイドが案内する20人ぐらいの1グループだけであった。

 山腹に奈良時代に開かれたという薬王院があって、この寺の参道が登山道となっており、山門を抜け、仁王門をくぐって薬王院をもうでて、山頂に向かった。

 登山道は深い森林の中にあって、この日は天候が良かったにもかかわらず、全く日が差し込まず、湿気をおびた空気に包まれていた。ふた抱えかみ抱えはありそうなスギやヒノキの幹が真っすぐに伸びて、空をふさいでいた。ケヤキやブナなどの落葉樹や常緑樹の深い森の中を通って、およそ1時間で頂上に達した。

 頂上は少し平らな場所があって、遠足の小学生が何組も敷物を敷いて弁当を食べていた。  外国人グループも休んでいたので、ガイドさんに「外国人は高尾山の何に魅力を感じるのですか」と聞いてみた。答えは「東京などの都会地ばかりを観光すると、1日ぐらい自然の中を歩くととても喜ばれます」との返事であった。

 確かに高尾山は自然豊かな観光地ではあるけれども、外国人が見て★★★とするだけの理由を理解するまでには至らなかった。

 帰りは谷川沿いの細い道を1時間半ほどかけて下り、翌々日まで足が痛かった。

(写真は薬王院の参道)

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No370 濱ともカード

 横浜市では10月1日より「濱(はま)ともカード」という制度が始まった。このカードは65歳以上の市民に交付され、カードを見せると、市内の公共施設や協賛店で割引などのサービスが受けられる。

370hama  新聞によると「高齢者よ、街に出よう、お金を使おう」というのがこのカードのねらいのようで、高齢者が家に閉じこもることなく街に出ればボケ防止になるし、少しでもお金を使えば市経済にプラスになるという事のようだ。

 市内の郵便局で身分証明書をみせれば、いつでも「濱ともカード」が交付されるということなので、さっそくカードをもらってみた(写真)。

 カードに付いていた説明書では「カードをお供(とも)に、カードと共(とも)に、友(とも)と一緒にお出かけしていただきたい・・・・」とあった。

 「濱ともカード」が利用できる施設・店の一覧パンフレットが付いていて、スポーツ施設や美術館、レジャー施設、レストラン、理・美容室、旅行業者など多岐にわたっている。

 サービスはレストランでは料金10%割引とか、ワンドリンクサービスといったところが多いが、市営の美術館や動物園、観光施設などは割引率が大きいようだ。 

 もらったばかりでまだ使ったことはなく、「高齢者よ、お金を使おう」との期待に応えるのは難しいが、いつもカードを財布に入れて持ち歩いている。

 毎日新聞編集専門委員の牧太郎さんのブログに次のような替え歌「ボケますよ」が載っていた。

 (一)なにもしないでボンヤリと/テレビばかりを見ていると/のんきなようでも年をとり/10年早くボケますよ

 (二)仲間はずれでただ一人/何もやることない人は/夢も希望も逃げて行き/年を取らずにボケますよ

 (三)酒もタバコも飲まないで/歌も踊りもやらないで/人のアラなど探す人/人の3倍ボケますよ

 この歌は牧さんの先輩の作だそうで、「お座敷小唄」の曲に合わせて歌うのだそうだが、なかなか面白い。

 「濱ともカード」を使えば「ボケますよ」にはならないようで、私もボケ防止に大いにカードを使いたいと思っている。

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No369 ぎんなん

 テレビ番組「笑点」で、歌丸師匠が小遊三師匠に、「ぎんなん拾いのシーズンが来ましたねー」と声を掛けていた。ぎんなん拾いは小遊三師匠の笑いのネタなのである。

369hama  家の前の小さな公園にイチョウが数本あって、色のぎんなんがたくさん落ちていた。小遊三師匠に習って、私も初めてぎんなん拾いをしてみた。

 ぎんなんの果肉は臭くて手がかゆくなると聞いたような気がしたので、ゴム手袋をしてスーパーの袋にぎんなんを拾い集めると、瞬く間に袋半分ほども集まった。

 その場でぎんなんをつぶして、果肉と芯に分け、果肉は捨てて、芯を持ち帰った。においは思ったよりひどくなく、芯をボールに入れて台所で洗ったが、台所中が臭くなると言うようなことはなかった。白くてきれいなぎんなんが中型のボール一杯ほどにもなった。 相棒は「ぎんなんは買えば高いのよ」感嘆していた。

 私は、子供のころぎんなんを食べたことがなかったし、大人になってから、茶わん蒸しか何かでぎんなんを食べたとき、うまいとは思わなかった。 これまで、わが家ではぎんなんを買って食べたことはないように思う。

 ぎんなんがたくさん採れたので、食べねばならない。インターネットでぎんなんの食べ方やレシピを調べてみた。

 ぎんなんの殻を取るには電子レンジでチンするのがよいと書いてあったので試してみた。ぎんなんを封筒に入れて加熱すると1分ほどでポンポンとぎんなんがはじける音がした。取り出してみると殻が割れていて黄緑色の実が飛び出しているのもあり、殻にひびの入っているのもあった。 熱いのを我慢して手で殻を取ると、甘皮も同時に取れて、透明感のある黄緑色の実が小さなボールに半分ほどになった。黄緑と言っても緑の濃いものから黄色の濃いものまであって、高級な翡翠(ひすい)のように透明感があり、まるで宝石のような輝きであった。

 早速炊き込みご飯に入れ、チャーハンにも入れてみた。

 料理レポーターの彦摩呂さんは料理を「味の宝石箱やー」と言って話題になったが、ぎんなんの味はそれほど自己主張する味ではない。

それよりもぎんなんを入れた料理は「宝石を散らしたよう」に見えた。

(写真は皮をむいたぎんなん)

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No366 アラセー

 「アラフォー」とか「アラサー」という言葉を聞かれたことがあるだろうと思う。「アラフォー」とは「アラウンド・フォーティー」、「アラサー」とは「アラウンド・サーティー」の略で「大体40」「大体30」という意味である。実際にはアラフォーとは40歳前後の女性を、アラサーとは30歳前後の女性を指す言葉として使われている。

 この言葉はファッション業界やテレビドラマから生まれたもので、アラサー世代とかアラフォー世代という風に使われ、その世代のファッションや特徴を語るときに用いられるようだ。

 それならば50歳前後はアラフィー、60歳前後はアラシー、さらに70歳前後はアラセーと呼んでも良さそうで、私はアラセーである。

 先日、そのアラセーの旧知4人が集まって、昼食を共にした。その内の二人は今も現役で働いており、私ともう一人は年金生活である。

 話が弾み、2時間以上話しても話が尽きなかった。

話は昔の話から現在の話まで、あらゆる話題に及び、共通して言えることは、だれも立派なアラセーでありながら、「老人」という言葉が嫌いだということだった。

 一人は老人クラブに行くと、年寄りのゆっくりした動きや話しぶりが気になり、それがこちらまで伝染しそうで、老人クラブに行くのをやめたといった。聞いてみると、そのクラブではアラセーはまだヤングなのだという。

他の一人は仕事柄子供と接することが多く、子供の声を聞くと元気がもらえるといった。もう一人はプールに行って若い女性コーチをみるだけでも楽しいといっていた。

 子供のころというよりついこの間まで、70代というとかなりの老人と思っていたけれど、実際に 70代になってみると、老人と呼ばれることに抵抗がある。ただ、孫からオジイチャンとかジイジと呼ばれるのだけは誰も平気なようだった。

 私は3人と別れ、わが家に向かう電車に乗った。

 電車は立っている人がかなりいて、私もつり革につかまって立つと、前の座席の女性が「どうぞ」といって席を立った。

 私はためらいながら席についたが、席を譲られると少しばかり複雑な心境になる。

老人と呼ばれたくないといいながら、他人がみれば立派な老人なのである。

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No364 関東ローム層

 364hama 私の住んでいる横浜北部は丘陵地帯で、住宅地として開発される前は雑木林だったようだ。現在でも所々に雑木林が残っており、駅前からわが家に向かう道路の片側は傾斜地になっていて、ここも以前は雑木で覆われていた。

 ところがこの数年、雑木が徐々に切り倒され、宅地が造成され、マンションや戸建て住宅に変わってしまった。

 最近、最後の雑木が切られて、重機が入って宅地造成が進んでいる(写真)。

 高さ20㍍以上の傾斜地に大型の油圧ショベルが入り、ダンプカーがどんどん土を運び出し、たちまちの内に階段状の宅地が誕生する。半年もするとマンションや住宅が建って、しばらく前まではナラやカシなどが茂っていたとは想像もできなくなるだろう。

 傾斜地が切り取られ、簡単に宅地造成ができるのは、この土地が厚い関東ローム層で覆われているからである。工事の状況を見ると、全く岩盤がなく、すべて油圧ショベルで掘削できるのである。

 四国などで斜面を削ると、すぐに岩盤が出てきて発破が必要になるのとは大違いである。 

 関東ローム層というのは富士山や箱根の火山噴火によってたい積した火山灰層のことで、御殿場では100㍍の厚みがあるといわれるが、この辺りでも20㍍近くはあるのではなかろうか。 

 このローム層は1万年以上も前に積もった火山灰が結合したものだそうで、それほど硬くはないが粘りがあって安定した地盤だという。地震の時はローム層がクッションの役割を果たし、関東大震災の時、ローム層の厚い台地は被害が少なかったといわれる。

 わが家でも少し掘ると少し硬い地層にぶつかって、硬い土の塊が出てくることがあり、これがローム層で、外に出して雨に当てておくとぼろぼろに崩れてしまう。

 近くの竹と雑木の混じった台地もきれいに切り払われ、裸になった。 その下に看板が立てられ、「特別養護老人施設建設用地」とあった。 ここにも土木機械が入ってローム層を削り、整地を進めるであろう。

 斜面でも台地でも簡単に造成できるので、緑がどんどん減ってゆき、残念なことである。

一方、駅の近くに田畑が残っていて、今年も稲が穂を垂れている。

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No362 雷

横浜は8月下旬になって雨模様の天気が多くなり、涼しくなった。前線が関東地方にかかったためで、北関東では集中豪雨による被害も出た。

 横浜もかなりの雨だったが被害が出るほどではなく、電車が運休したり、遅れたりする程度ですんだ。 私が住んでいる横浜の北部も2日ほど夕刻に雷雨があり、落雷による停電が何回かあったが、いずれも数分で回復した。横浜は停電を伴うような雷はめったなく、今回の雷は珍しい事だった。

 雷で思い出すのは群馬と新潟の雷である。

 群馬では、夏になると夕方に急に黒い雲が出てきて、雷鳴とともに滝のような雨が20~30分続くことが夏の行事であった。このようなときには短時間ながら停電することが多く、ひょうが降ることも珍しくなかった。

 新潟の雷は冬の雷である。新潟に住むまで、私は冬に雷が鳴るとは知らなかった。ところが新潟の雷は冬に鳴るものであって、雷が雪を呼んでくるのであった。西高東低の気圧配置になると、沖合から黒い雲がわいてきて、雷が鳴り、大雪となる。

 雷は気持ちの良いものではないけれど、家の中にいる限り命まで取られることではないので、恐いという気持ちはそれほどではない。

 といいながら雷で恐い思いをしたことが一度だけある。

 もう半世紀近くも前のことになるが、大牟田にいたとき、一人で夜釣りに行った。私は一人で夜釣りをすることはなかったのだが、その日はたまたま一人で干拓地にバイクで出かけた。日が暮れるとともに雨となり、雷が鳴ってきた。次第に雷が近くなり、沖の堤防に落雷するのも見えた。私のいた堤防には避難する場所もなく、堤防の斜面にうずくまっていたが、私の体に雷が落ちるのではないかという恐怖が急に沸いてきた。金属を身につけていると危ないと思い、ポケットの小銭を投げ捨て、バンドも外して遠くに投げた。10分か20分ぐらいで雨も雷も治まり、濡れた体で落ち着いてみると、金属縁の眼鏡をかけたままだった。

 地震雷火事親父というが、私はまだ棚から物が落ちるというほどの地震を経験したことはない。これまで一番恐かったのは、風速50㍍超の台風の時である。

   

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No361 北京オリンピック

 北京オリンピックが終わった。金メダルの数は全部で9個、アテネより少ないが、アテネが予想以上だったので、まあ全体としては健闘したといえるのではなかろうか。

 と言いながら残念な気持ちがぬぐえないのは、野球で銅メダルも取れなかったためである。 アテネでは銅だったので、星野監督のもと、今回は金メダル獲得を監督自身が宣言し、だれもが金を期待していた。

 予選リーグで3敗してもこれは想定内のことで、決勝トーナメントでは勝ってくれるものと信じていた。ところがご存じの通り決勝トーナメントでも日本チームは惨敗し、韓国が予選を通じて全勝で金メダルとなった。 韓国チームの戦いぶりを見ると、勝利の執念が日本チームよりはるかに強かったように思う。 韓国の選手は集中力がすごく、ボールに食らいつく気迫があった。新聞記事によると、韓国の選手は金メダルを取ると兵役免除になるのだそうで、これも勝ちたいという気持ちを駆りたてたのであろう。

 野球とは対照的だったのが女子ソフトボールで、劣勢の中、上野投手の3連投で金メタルを獲得した。体力に劣る日本選手が気力でつかんだ金メダルである。

 金メダル獲得競争は中国がダントツの1位となり、2位アメリカ、3位ロシア、次にイギリスが金メダル19個取って4位となった。イギリスはこれまで成績が低迷していただけに、今回のオリンピックでは大いに沸いたという。

 中国は51個の金メダルを取ったが。13億人も人口があって、金メダル1個当たりの人口を計算すると約25百万人に1個となり、負け惜しみのようだが、日本は14百万人に1個となって、中国よりは効率がよい。メタル上位の国で効率の良い国はオーストラリアの1.4百万人に1個で、日本の10倍も効率が良く、イギリスも3.1百万人に1個と効率がよい。 陸上短距離で旋風を巻き起こしたジャマイカはわずか262万人の国で金メダル6個も取り、44万人に1個の金メダルを取ったことになる。ジャマイカの選手を見ると、これは持って生まれた天性のもので、日本人がいくら練習しても勝てそうにはない。

 4年後のロンドンはどのようなオリンピックになるだろうか。

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No352 映画「ザ・マジックアワー」

 352hama 三谷幸喜脚本・監督の映画「ザ・マジックアワー」を見た。

 三谷幸喜は映画監督というより脚本家として著名で、プロフィルには「舞台・映画・テレビドラマ・CMと幅広い分野で活躍。日本を代表する脚本家の一人」とあった。

 三谷幸喜がテレビのCMに黒い眼鏡をかけて何度も登場し、朝日新聞夕刊に週1回掲載しているエッセーを読んでいるけれども、テレビドラマを見なくなったので、三谷脚本のテレビドラマを見たことはない。数年前、三谷がNHKの大河ドラマを書いたときは、視聴率が良くなかったように記憶している。

 三谷幸喜脚本・監督の映画を最初に見たのは2年前の「The・有頂天ホテル」であった。この映画が面白かったので、「ザ・マジックアワー」も期待していた。

 マジックアワーとは映画製作の専門用語で、夕暮れのほんの一瞬のことだという。光が少し残っているこの瞬間にカメラを回すと幻想的な画面となり、一日で世界が一番美しく見える瞬間、これがマジックアワーだという。

 誰の人生にも輝く瞬間、即ちマジックアワーがあり、人生のマジックアワーをコメディーにしたのがこの映画であった。

 売れない映画俳優村田(佐藤浩市)が映画撮影だとだまされて、やくざの親分(西田敏行)の前で演技をするのだが、村田は親分が本物のやくざだとは気が付かない。この行き違いによるさまざまな場面が笑いを呼ぶのだが、この導入部分の設定に無理が感じられ、私はすんなりと入って行けなかった。

 対談記事の中で、三谷幸喜は、『究極的には笑いって「そういうこともあるよね」という共感、それに尽きると思う』と話している。さらに、この映画は「架空の街で起きるおかしな出来事を十分に堪能して・・・」とも語っている

 この映画から「そういうこともあるよね」という共感が私には感じられなかったし、架空の話であっても、ありそうに思える話であってほしいと思う。

 上映中、観客席からはかなりの笑声が起きたので、共感できないのは私だけなのだろうか。

 前作の「有頂天ホテル」が良かっただけに、今回の作品は期待した程ではなかったと言うのが率直な感想である。

 (写真は「ザ・マジックアワー」より)

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No351 同期会

 来年で大学卒業50年になり、その記念の会を開く下打ち合わせを兼ね、東日本在住の同級生が久しぶりに集まった。

 1959(昭34)年に阪大応用化学科を卒業した私たちは全部で56名、そのうち東日本在住が 23名、西日本在住が20 名、物故者が10名、連絡の付かない者が3名となっている。

物故者10名は多いような気がするが、2年前からは1名が亡くなっただけということで、そんなに増えているようではなかった。

 今回集まったのは東日本23名のうちの9名で、これまでは10数名集まっていたのを思うと、寂しい感じがしないでもなかった。欠席者からのメッセージでは体調を崩している人もいて、少なくなったのは年のせいも否定できないようだった。

 会場は、昼食バイキング飲み放題3000円という西銀座のレストランで、個室が取ってあり、最近は世話役も安くて手軽なところを選ぶようになってきた。

 前回顔を合わせたのは古希の会の時でまだ2年しかたっておらず、見慣れた顔ばかりである。顔は変わっていないが、持ち時間5分で行った近況報告によると、2年間でもそれぞれに変転があるようだった。 

 Aは胃を全摘出して10年以上となり、ようやく安心出来るようになったと言い、Bは腰痛もあって趣味を整理して現在は謡曲だけに集中しているという。Cは2度目の奥さんを亡くし、Dは奥さんの看病に追われてきたと言った。Eはお孫さんの写真を見てくれと差し出し、Fは海外旅行の話をした。

 お互いに気が置けない仲間なので勝手放題にしゃべり、話の間にツッコミを入れて賑やかだった。 いつもの事ではあるが、だれもが話が長く、とても5分ぐらいでは終わらない。10分たっても止めようとしないものもいて、世話役からストップをかけられる始末であった。年をとってきたせいか、以前にも増して話が長くなったようである。

 もう一つ年だと感じたのは、だれもが飲む量も食べる量も少なくなった事である。ビールやとワインの空瓶が林立することはなかった。

 肝心の卒業50周年の会については閑散期の平日に開催することぐらいを要望することにして、あとは関西勢に任せることとなった。

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No350 サッカー

 350hama

2010年、南アフリカで行われるサッカーW杯の予選が始まっており、先週土曜日、日本チームはオマーンと対戦した。

 予選は自国と相手国で各1試合行われるので、この日は6月2日の横浜での試合に引き続き、オマーンで行われた。

 試合は現地時間の夕方5時過ぎに始まり、時差が5時間で日本では夜の10時からテレビで実況された。

 私は日本チームの試合がテレビで実況されるときは、観戦が楽しみで、この試合も0時過ぎまで、テレビにくぎ付けになっていた。以前はテレビといえばプロ野球観戦であったが、最近は余り見なくなり、その代わり、日本チームのサッカー試合があると必ず見るようになっている。

 この日の試合は太陽が残っている中、気温36℃という炎暑の中で行われ、日本選手の汗だくの姿を見ていると、見ている私までもが暑くなる程であった。試合はドキドキするような場面があって、前半45分、後半45分ともテレビの前を離れられなかった。 試合は途中で危ない場面もありながら、1-1の引き分けとなり、相手国で行われた試合としては負けないでよかったと言うべきであろう。勝てば3次予選通過ということだったが、引き分けたので、予選通過は次試合以降に持ち越した。

 野球に比べてサッカーは展開が早くて目が離せない。野球のテレビ観戦なら、新聞を見ながら観戦できるのだが、サッカーでは攻守の切り替えが早く、目を離していると良い場面を見逃してしまう。それに野球は交代時間にやたらとCMが多く、うんざりしてしまうのだが、サッカーでは試合中のCMはほとんどなく、集中して試合を見ることができる。サッカー試合のCMはハーフタイムの間に集中して流され、この時間はトイレタイムで、CMの視聴率が良くないだろうと、少しばかり申し訳ない気分である。

 この日は日本対オマーン戦の後、チェコ対スイスの国際試合が午前3時までテレビ中継されたのだが、私もそこまで観ようとは思わない。 私がサッカーの試合を観ると行っても、日本チームの試合だけで、Jリーグの試合をテレビ観戦することはない。私はサッカー好きと言うよりも、まだまだ日の丸の応援かもしれない。

(写真は日本チームのゴールキーパー楢崎選手。テレビ画面より)  

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No348 そら豆

348hama  そら豆をこれまで2回植えてみたが、2回とも失敗した。1回目は大量のアブラムシが発生して実が熟す前にしおれてしまい、2回目はまいたタネが鳥に食べられて芽が出なかった。

 これらの失敗を教訓に、3回目のそら豆栽培に挑戦した。

 昨年秋、鳥に食べられないようわが家の庭で埋め込みタイプの育苗ポットにタネをまき、初冬に畑に植え付けた。春先から順調に生長して、花が咲いたころ、アブラムシ防除の消毒も2回行った。

 今回はアブラムシの被害もなく成功のようで、早く食べてみたいものとわくわくした気分で熟すのを待っていた。

 さやが垂れ下がり、背筋が黒みを帯びてきたところで、10さや程採ってきて豆をボイルしてみた。まだ豆が小さめで若い感じだったが、それでも初夏の香りがしてそら豆の味が楽しめた。 三度目の正直で、ようやくそら豆が収穫できたのである。

 その後、熟すのを待って何回も収穫し、ゆでたり焼いたりのほか、炊き込みごはん、スパゲッティー、肉じゃがに加えるなど、どれも美味しかった。

 そら豆はスーパーで売られているけれども、比較的高い野菜で、買って食べるとなると、自家製のようにたくさんは使えない。わずか14株のそら豆ではあったけれど、そら豆をたくさん収穫でき、十分にそら豆をたん能することができた。

 そら豆を青いさやの時に食べるようになったのはいつごろからだろうか。子供のころは青い豆を食べた記憶はなく、そら豆が完全に熟して、堅い豆になってから収穫していたと思う

 これは枝豆にも言えることで、昔は未成熟の大豆である枝豆を食べることはなく、青い豆で食べたのはエンドウだけである。

 調べてみると、江戸時代には枝豆売りの姿があったということなので、私が青いそら豆や枝豆を子供のころ食べたことがないというのは地域性の問題かもしれない。

 そら豆が成功したので、今年は枝豆を植えた。枝豆もこれまでに2回植えて、2回とも虫が入ってまったく収穫できなかったのである。今年はそら豆と同じように三度目の正直で、おいしい枝豆をたくさん食べたいと思っている。

(写真はわが家で収穫したそら豆)

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No347 工作船

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 横浜の「みなとみらい地区」が横浜の顔となり、昨年は5千万人が訪れたという。私も横浜美術館の講習会を受講するなど、年に何回か「みなとみらい」に行く機会があり、今も新しい施設が誕生していて、散策するのに楽しい場所である。

 先日、赤煉瓦(れんが)倉庫のある新港地区を歩いていると、「工作船展示館」と大きく看板が出ているのが目にとまった。海上保安資料館横浜館とあり、横浜の海上保安部に併設して、北朝鮮の工作船が展示されているのであった。

 この工作船は、日本の巡視船が射撃して自沈させたもので、引き上げて東京の船の科学館で一般公開されたことは記憶にあったが、横浜の港で一般公開されているとは知らなかった。

 展示館は無料でだれでも入場でき、「2001・12・22工作船事件とは?」というパンフレットが置いてあった。

 この事件が起きたのは6年以上も前のことになり、巡視船と不審船(工作船)との射撃の模様が詳しく写真で説明されていて、当時、テレビで何度も見た場面を思い出した。

 展示場は小さな体育館のような建物で、その中に船首を入り口に向けて工作船が置かれていた、船首は鉄さびで赤茶けていて、その右げんにも左げんにも数多くの弾こんが見えた。

 見学路は工作船の横側が高くなっていて、船全体が見渡せるようになっていた。この船は自沈したものを引き上げたので、損傷が激しいが、それでも船の全容を知るには十分である。

 資料によると、全長29・68m、全幅4・66m、型深4・66m、総トン数44t、4400馬力という一般漁船の10倍のエンジンを持っていたという。展示場には船に積まれていたロケット砲、対空機関銃、軽機関銃、自動小銃などの武器や小型船艇、ゴムボート、衣類なども展示されていた。

 一見すると漁船程度の船であるが、その武器を見ると戦闘能力を備えたミニ軍艦であり、この様な船が日本周辺を走り回っているとなると、身震いする思いであった。

 この展示館を見るのは平和に慣れた我々日本人にとって警鐘となるのではなかろうか。

 工作船展示館の見学者が増えるよう、もう少しPRしてもらいたいと思う。

(写真は展示されている工作船)

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No346 三宅坂あたり

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 都心に出掛けた際、千鳥ヶ淵から三宅坂を通り日比谷まで歩いてみた。ここは皇居の西側から南側に当たり、皇居の堀を左手に見ながら、時計と反対回りに皇居をおよそ3分の1ほど回ったことになる。

 千鳥ヶ淵公園の桜は緑が濃くなって遊歩道に日陰を作っていた。花見のころは大勢の人でまともに歩けない程であったが、この日は散歩の人に時折会う程度で、花見のころのにぎわいが信じられないほどであった。

 桜の公園を抜けると半蔵門が左手に見えてきた。以前ここを通った時、人だかりがしていて、門が開き、皇太子夫妻の車に遭遇したことがあった。この日は皇居に通じる道路が閉鎖されていて、皇居への出入りはなさそうで、数人の警官が手持ちぶさたに立っているだけであった。

346hama2  半蔵門を過ぎると歩道が緩やかに下っていて、直径50センチはあるかと思う程の大きなユリノキの街路樹が続いていた。ちょうど花が咲いていて、花の形がユリに似ているからユリノキと名付けられたというが、私には黄緑色の花弁にわずかに オレンジを加えた花はユリと言うよりもチューリップに似ているように見えた。濃い緑の間に咲く花は周囲に同調して自己主張が少なく、気を付けなければ花に気付かないほどである。

 右手に国立劇場、最高裁判所を見て、三宅坂交差点にかかり、右手に社民党の建物が見えた。社会党が盛んだったころ、「三宅坂」が社会党の代名詞であったが、今では社民党と名前を変え、小勢力となって建物も薄汚れて見えた。

 昼休みの時間になってジョギングする人が多くなり、私をどんどん追い越していった。ここは女子マラソンの谷川真理さんも走ったというところで、皇居周辺のサラリーマンが昼休みを利用して走っているのである。

 日比谷交差点に近づくと、お堀が左に折れてその先に低層のビルが並んでいるのが見えてきた(写真上)。 帝劇を始めとする古いビル群が街路樹の向こうに見え、お堀をはさんだ左手には皇居の石垣が見える。私が東京の景色で一番好きな場所である。

 外国からの観光客が数人写真を撮っていた。

 ここからの眺めは、外国から来た人たちにも胸を張って自慢できると思っている。

(写真下はユリノキの花)

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No345 長寿日本一

345hama 市区町村別の平均寿命がこのほど発表になり、男性のトップは横浜市青葉区の81 ・7才、女性のトップは沖縄県北中城村の89 ・3才であった。

 私の住んでいる横浜市青葉区が、なんと男性の平均寿命日本一に輝き、女性も88 ・0才で7位にランクされた。男女合わせた平均寿命は発表になっていないが、青葉区が多分日本一であろう。
 日本は世界で最も長寿の国で、その日本で日本一長寿となると、私の地域は世界一長寿ということになる。
 これまで、そんなことを考えたこともなく、感心したり、びっくりしたりである。
 横浜市青葉区は、昔は雑木林ばかりだった。 約40年前に東急の電車が開通して急速に宅地開発が進み、東京へ通勤する人のベッドタウンとなった。現在、人口は30万人、平均年齢39 ・9才と若く、いまも人口増加が続いている。
 新聞の地方版に「青葉区の長寿はなぜ?」という記事があり、その見出しは次のようであった。
「元気の秘けつは交流」
「公園多く文化活動盛ん」
「医療環境整い意識高い」
 記事の中で、長寿になる要因として次のようなことが挙げられていた。
①大きな病院が多い
②住民の健康に関する関心が強い
③スポーツクラブが多い④緑地が多い
⑤文化活動が盛ん
 この地域には緑が多く残っていて、すぐ近くの「子供の国」でつい最近、野生のキジが歩いているのを見たほどである。緑が多いと気持ちが和らぐし、健康にはプラスであろう。
 しかしながら、緑の多い地域はたくさんあって、緑が多いから長寿だとは限らない。その他の項目がたくさん積み重なって長寿となっているのであろう。
 長寿世界一の地域に住んでいるから私が長生きするとは限らず、平均寿命まで生きるかどうかも判らない。それでも寿命の長い地域に住むのは悪い気がしない。
 最近は平均寿命というより、健康寿命という事が言われるようになってきた。長寿であっても他人の世話によって生きているのでは生きているかいがなく、飽くまで健康で長寿でありたいものである。
(写真は子供の国の一部、青葉区HPから)

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No344 後期高齢者

 4月より新しく「後期高齢者医療制度」が始まり、新聞やテレビはこの話題で騒々しい。

 ご存じの通り、後期高齢者とは75才以上の老人のことで、この呼び方が、「うば捨て山」だとか「後期とは末期という意味か」など、老人をばかにしていると評判が良くない。

厚生労働省は福田総理の指摘もあって、「後期高齢者医療制度」を「長寿医療制度」と呼び換えるということだが、「長寿医療制度」と呼び換えても評判が良くなったようにも思えない。

 厚生労働省のホームページで舛添大臣がこの制度の説明をしているので聞いてみた。大臣はこの制度を導入した目的を、高齢者の生活全体を診る医療制度、更に高齢者が住み慣れたところで安心して生活できる医療制度を導入したと述べていた。ところが、これを詳しく聞いてもこれまでの医療とどう変わるかぴんと来ない。

 調べてみると、この医療制度を導入した当初の目的は別のところにあって、老人医療費の財政負担が増えるのを抑制しようということであった。新しい医療制度は75才以上の老人を独立した医療制度とし、医療費を抑制しようとする考え方が基本になっていて、老人に特別の医療を行う、というものではないのである。

 医療制度の内容にまで触れる余裕はないが、もしこの医療制度が老人を大いに支援する制度になっているのなら、名前がどうあろうと、例えば「末期医療制度」とか「うば捨医療制度」と呼ばれたとしても、こうも評判が悪くなる事はないはずである。

 この制度が保険制度を維持するため、医療費抑制を目的とするということを説明しないで、「長寿医療制度」と名前を換えても、国民の理解などとても得られないのではなかろうか。

 これからますます老人が増えてくるので、老人の医療費をどのように負担するかは大きな問題である。現在は高齢者の医療費を現役世代の健康保険にかなりの部分を依存しているのだが、これ以上現役世代に負担を求めるのも厳しくなっている。

 私はまだ後期高齢者までには3年程あるが、私がその年になったとき、医療制度が崩壊したというような事だけはしてほしくない。

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No343 笑門来福

343hama  横浜にぎわい座がオープンしたのは6年前になる。オープンした当時は何回か足を運んだのだが、その後はごぶさたしていて、先日、久しぶりに行ってみた。

 この日は千円デーということで、誰でも入場料千円、当日券を10時から売り出すということだった。前月の千円デーは11時半に当日券が完売したと聞いたので、2時開演というのに、11時前に窓口まで行って、当日券を購入した。

 1時半開場だったので、1時半を少し回ったころに行くと、既に1階席は満席に近く、2階席の前列に席を取った。

 観客席を見渡してみると、平日ということもあって中高年の男と女が半々ぐらい、少人数ながら若いカップルもいた。 平日昼間はレストランでも美術館でも、中高年の女性が圧倒的に多いのだが、寄席だけは中高年男性が多く、男性の一人客も多かった。

 この日の出し物は中入りを挟んで落語が4題に太神楽、奇術であった。テレビで見かけるような名の知れた落語家はいなくて、私が知っていたのは柳家権太楼ぐらいであったが、大いに笑わせてもらった。

 いつもの事ながら、真打ちと呼ばれる人たちの話芸の巧みさには感心してしまう。落語のことを英語でシッティング・コメディーと訳すそうで、落語家は座布団の上に座ったまま、扇子と手ぬぐいだけを使ってあらゆる世界を表現し、笑わせてくれる。テレビで見るお笑いタレントの芸が軽薄に見えてくるのは私だけであろうか。

 最近は落語ブームだという。この3月に終了したNHKの朝ドラ「ちりとてちん」が落語を扱っており、その他にもTVドラマや映画に落語がテーマになっている。

 「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・・」と落語に出てくる長い名前がNHK教育TVで放送されて以来、「じゅげむ・・・・」を覚えるのが小学生の間ではやったという。

 横浜にぎわい座に限らず、大阪の「繁昌亭」も客の入りが良いそうだし、東京の寄席も客が増えているそうだ。

 横浜にぎわい座には「笑門来復」と看板が掛かっていた。「笑う門には福が来る」という意味で、笑いは健康にも良いというし、時々は寄席に行って、大いに笑い、「笑門来福」としたいものだ。

(写真は柳家権太楼師匠、HPより)

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No341 ラジオ深夜便

 ラジオ深夜便については6年前にこのエッセーに書いた。

 その後も深夜に放送されるこの放送を聞きながら眠りにつく習慣は続いていて、毎日、日付の変わるころにベッドに入っている。

 就寝が0時というのは、年寄りとしてはいささか遅い方で、その分朝も遅くなる。起きてすぐ新聞を取りに出ると、登校中の小学生に出会い、都心に勤務するサラリーマンはとっくに出勤した後である。

 ラジオ深夜便で聞くのは、世界各地からの話題を伝える月~木曜日の「ワールドネットワーク」と、金曜日の「アジアリポート」で、だいたい15分ほどである。この番組は新聞やテレビでは伝えない世界各地の生活情報を現地に住んでいるレポーターが報告していて、なかなか面白い。

最近聞いて興味深かった事を書いてみたい。

 ベトナムのハノイからの報告によると、今年のハノイは大変寒かったという。ハノイにも毎年冬があって、寒いときは8℃ぐらいになることがあるのだが、それは数日ですぐに暖かくなるのが例年のことであった。 

それが今年の冬は6℃の日が50日も続いたという。寒さになれていない牛や山羊などの家畜がたくさん死に、植えた稲も枯れてしまった。

 人間は風邪など呼吸器の病気にかかる人が多く、病院は患者であふれた。住宅には暖房設備はなく、温水の出るシャワーなどもないので不衛生になり、消化器系の患者も多かった。

 ベトナムを旅行したとき、ガイドが日本のふろは熱すぎてとても入れない、ベトナム人は全部水ぶろだと言ったことを思い出した。気温が6℃ではベトナム人でも水ぶろは無理であろう。

 ベトナムでは油の値上がりや、低温による農産物の不作などで物価上昇が激しく、政府発表の物価上昇率は20%だというが、生活実感としては50%以上の感じだという。

 今冬は雪の降らない中国南部で大雪となり、カナダでも豪雪だったようだ。雨のあまり降らないロサンゼルスでは豪雨被害が発生し、オーストラリアでは干ばつで小麦が大減産となった。

 ラジオ深夜便を聞いていると、世界各地から異常気象の報告があり、住民の生活に影響が出ているようだ。

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No340 スリング

340hama  スリングというものをご存じだろうか。

 私は知らなかったが、スリングとは赤ちゃんを抱っこする゛抱っこひも゛(写真)の事で、若いお母さんならだれでも知っている。

 広幅の布でできていて、赤ちゃんをまるでカンガルーのように布の中に入れて抱えるものである。

 1月末に2番目の孫が誕生した。最初に孫が生まれたときからのことなのだが、最近の子育ては我々のころとは随分と違っていて、片仮名の聞き慣れない言葉に戸惑ってしまう。

 スリングもその例で、その他に「スタイ」「アフガン」「ミトン」など、どんなものか見当もつかなかった。聞いてみると、゛よだれかけ゛はスタイと呼ばれ、゛おくるみ゛はアフガン、赤ちゃん用の゛手袋゛はミトンと呼ばれるようである。

 我々の時代、赤ちゃんは背負うのが普通で、抱っこひもで抱っこすることはなかった。最近は赤ちゃんを負んぶしているのを見かけることがなくなり、だれもが赤ちゃんを前で抱っこしている。 この時に使われるのがスリングで、赤ちゃんはお母さんに対して横向きか、向かい合うか、反対を向くかなどによって色々な抱き方があって、赤ちゃんはお母さんに抱かれて安心のようである。先日私が見たのは、赤ちゃんがお母さんの胸に前を向いて抱かれ、その上にお母さんがコートを着ていて、赤ちゃんの顔がコートの間からのぞいていて、まるでカンガルーの親子のようであった。聞いてみると、この抱き方をカンガルー抱きといい、顔を合わせる抱き方をコアラ抱きというのだそうだ。

 最近、どこに行っても目立つのは、赤ちゃんをベビーカーにのせているお母さんたちである。赤ちゃんが少し大きくなると、抱っこからベビーカーに移り、近くのスーパーでも、少し離れたショッピングセンターでもベビーカーを押したお母さん達が目につく。

 我々の時代にも赤ちゃんを乗せる乳母車があって、わが家でも乳母車に子供を乗せて近所を歩いていた。私は、ベビーカーにもつい乳母車と言ってしまい、子供たちからは乳母車でなくてベビーカーと何度も訂正される。

 負んぶが抱っこに換わり、乳母車がベビーカーに換わっても、赤ちゃんの笑顔はいつの時代でも愛らしい。

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No339 コブシ

 

3391hamaコブシが咲いた。

 近所の道路の街路樹に5~6本のコブシの木があって、白い花が一斉に開いた。

 「白樺(しらかば)青空 南風

 コブシ咲くあの丘 北国のああ北国の春・・」

 と「北国の春」で歌われたコブシである。

 この歌は昭和54年に千昌夫が歌ってヒットしているのだが、私はこの歌がヒットしてもコブシの花を知らなかった。

 それから10数年して群馬勤務になったとき、ようやくコブシの花がどんな花か教えてもらった。 コブシは白木蓮(はくもくれん)と同じころに咲く白木蓮に似た白い花で、白木蓮よりは花びらが細く、平らに開いている花がコブシの花であった。

 調べてみると、コブシは九州から本州、北海道の山地に自生していて、樹高15メートルにもなる落葉高木で、四国には自生していないとあった。私がコブシを知らなか3392hamaったのも、四国にはコブシがなかったから無理もないことだと、つい納得してしまった。

 気を付けてみると、コブシは公園に植えられており、庭木にも見られ、それほど珍しい木ではない。最近は園芸店にも苗木が売られていて、白い花のコブシの他ピンクのコブシも売られている。

 しかしながら、10日間程の花の時季を逃すと、葉のかたちや木の姿から、これがコブシだと断定するのは私には難しい。

 実際に、わが家の近くのコブシも、花が咲くまではコブシだとは判らなかった。

 コブシは一般的には辛夷(こぶし)と書かれるが、拳(こぶし)と書かれることもあり、これはつぼみのかたちが子供の拳に似ているからだとか、コブシの実が子供の拳に似ているからだといわれるが、私が見たところではどちらも似ているとは言い難い。

 数年前、5月に北海道を旅行したとき、まだ冬枯れの落葉樹の中に白く輝いている木があって、これがコブシであった。北海道では桜とコブシはほぼ同時に咲くようであるが、東京あたりではコブシは桜の咲く1週間程前に咲き始めて、コブシは桜開花の前触れである。 

 この文が紙上に出るころは、コブシの白い花びらが地面に散り敷いて、コブシの木は若葉色の新芽が出そろい、桜は満開のはずである。

(写真上下ともコブシ)

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No338 清潔人間

ラジオ番組で、イギリス人の清潔度調査についてレポートしていて、その内容は概略次のようなものであった。

 「同国では人口の約 10%に当たる600万人がトイレの後に手を洗わず、50万人の人が1カ月に1回しか下着を替えない。3分の1以上の人が体を毎日洗っておらず、床に落ちたものを拾って食べる人の割合は全体の27%だった」

 レポーターは続けて、レストランで従業員向けに「トイレの後には手を洗いましょう」と掲示してあるのを見たという。

 イギリス人に限らず、ヨーロッパでは手を洗うとか風呂にはいるという習慣が日本人程ではないということを前々から聞いていたが、レストランの従業員でトイレの後に手を洗わない人がおり、1ヶ月に1回しか下着を替えない人がいるとは驚いた。

 それぞれの国の生活習慣はその国の気候や長い伝統に基づいているので、どちらが良いとか悪いとかいうことは言えないが、日本人は世界的に見てかなり清潔好きの人間であることは間違いないようだ。

 風呂によく入り、よく手を洗うのは日本人の古くからの習慣のようで、明治初期に日本を旅行した英国人がその旅行記に、日本人がよく風呂に入るのに感心したと書いているという。

 私たちが外出から帰ると手を洗い、風邪のはやっているときなどは、うがいまでするけれど、このような習慣は日本人だけのようである。

 日本を旅行した外国人が是非自国に持ち帰りたいと思うものはウオッシュレットと呼ばれる「温水洗浄便座」だという。日本のホテルはほとんどがウオッシュレットになっているので、これを使った外国からの旅行者はその快適さに 惚れ込んでしまう。

 ウオッシュレットが普及しているのは日本だけで、海外旅行でウオッシュレットに出会ったことはこれまでに一度もない。 ウオッシュレットは清潔好きの日本人が生み出した世界的な発明なのである。

 私自身についていえば、10年程前に家を買ったときからウオッシュレットを愛用しているが、イギリス人に自慢できる程清潔人間だと言い切る自信はない。

 孫から嫌われない程度には清潔にしなければとは思っている。

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No337 松山

 親族の結婚式があって、松山へ行ってきた。
 羽田を早い便でたち、式までの間に石手寺に参り、昨年オープンした「坂の上の雲ミュージアム」を見学した。
 石手寺の門前にはお遍路さん用の装束の店があり、白い装束にスニーカー姿のお遍路さんが何人も歩いていた。
 337hama境内はそんなに広くはなかったが、国宝だという仁王門のほか、三重塔など重文の建物があちこちにあって、霊場の名に恥じないものがあった。ただ、三重の塔に掛かっている不似合いな看板など、新旧取り混ぜた乱雑さが残念だった。
 坂の上の雲ミュージアムは城山のすそ野にあって、安藤忠夫設計というシャープな線をもった特異な建物であった。明治の軍人を思わせる服装の案内人がいて、入り口を教えてくれたのは笑わせたが、展示品は秋山兄弟の書や子規の書画などが目にとまった程度で、期待はずれだった。
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化され、松山市は「坊ちゃん」に加えて「坂の上の雲」を観光の目玉にしたいようだが、観光客の期待に応えるにはミュージアムはもっと充実させる必要がありそうだ。
 結婚披露宴が終わって、その夜は松山泊まり。 道後温泉の湯に入らねばと、テレビなどでもよく紹介される道後温泉本館に行った。温泉はかなり込んでいて、相棒の話だと女性の湯は洗い場を確保するにも苦労したという。混んではいたが、温泉の湯は柔和で優しかった。
 翌日、午前の便で帰ったのだが、松山は「坊ちゃん」とそこの人たちの優しい気持ちが印象に残った。
 坊ちゃん列車もマドンナバスも走り、マドンナ姿の案内人がおり、坊ちゃんを題材にしたからくり人形があって、どこにでも坊ちゃんだんごが売られていた。
 電車やバスの運転手、ホテルのフロント、土産物屋の女性など誰もが優しく親切で、押しつけがましいところがなく少し控えめであった。
 松山のバスには大きく標語のようなものが書かれていて、その中に「気にせん、気にせん、何とかならい」とあった。 宮崎の東国原知事が「どぎゃんかせんといかん」と叫んでいるのとは対照的で、「何とかならい」で良いのかなと、少し気になった。

(写真は石手寺の三重の塔)

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No336 世界卓球

336hama  世界卓球は毎年開かれる卓球の世界一決定戦で、個人戦と団体戦が隔年で行われる。今年は中国・広州で国別の団体戦が行われた。
 その試合が東京12チャンネルでTV放送され、私は日本女子チームの試合に引き込まれて、ついに全試合をTV観戦するはめになってしまった。
 日本チームは私も顔をよく知っている福原愛(19歳)選手の他、平野(22)、福岡(24)、藤井(25)、石川(15)の5選手が出場し、外国の大きな選手を相手に大活躍であった。
 まだあどけなさの残る石川選手、化粧気がなく少年のような顔つきの平野選手、笑顔がかわいいまん丸な顔の福原選手など、どの選手も優しい感じの日本女性に見えるのだが、卓球台の前に立つと違っていた。外国選手を相手に素早い動きで大活躍し、思わず拍手であった。
 福原愛選手は、日頃から愛ちゃんと呼ばれて親しまれていて、いつも笑顔が素敵なのだが、試合になると目もとが引き締まって闘う愛選手に変身していた。
 平野選手の攻守にわたる姿を見ると、私は奈良興福寺にある阿修羅像を思い出した。平野選手の少年のような顔つきが阿修羅像に似ているだけでなく、まるで阿修羅像と同じように腕が6本もあるのではないかと思うほど、小さなピンポン球を左右前後に打ちまくるのである。
 日本女子チームは予選リーグを全勝で通過し、決勝トーナメントで準々決勝に勝ったが準決勝で負けて、3位の銅メタルであった。
 日本の卓球は1950年代に荻村や田中といった名選手がでて、世界を制覇した。その後、中国が台頭して日本は王座を奪われ、現在も中国が世界の卓球をリードしている。
 今大会で女子は3年連続3位となり、男子も8年ぶりの3位で、復活の兆しが見えてきた。
 かって世界を制覇したバレーボールがなかなかトップクラスに入れないのに比べると、卓球は先に明るさが見えてきたようだ。バレーボールは身長に劣る日本が苦しいのに比べると、卓球は身長のハンディーがなく。日本人に向いているスポーツかもしれない。
 2009年の世界卓球は横浜で開催されるそうで、今度は実戦を観戦しようと思う。

(写真は平野早矢香選手、TV画面より)

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No335 テレビ

前回書いた阿川弘之さんの著書「大人の見識」の中にテレビについて書いた箇所があったので、原文のまま紹介する。

 「静かに何かを語りかけるような質実な番組、本当に少ない。NHKをふくめてどのチャンネルに切り替えてみても、ワァワァ、ゲラゲラ、人気タレントの馬鹿笑いばかり聞こえてくる。自分たちで面白がって大声あげて騒いでいるように思えるんだが、なんですかね、あの下品さは」 
 全くその通りで、近ごろは見たい番組が本当に少なくなってしまった。
 司会者や出演者が大声を上げたり、笑い転げたりして、阿川さん指摘の「自分たちで面白がって大声を上げて騒いでいる」番組がやたらと多い。 出演者やレポーターが何事に付けても絶叫するのも何とかならないものだろうか。
 スポーツ実況でもタレントやアナウンサーが絶叫調で放送すると耳を覆いたくなる。試合やレースの進行は画面を通して分かっているので、説明する必要はなく、画面に出ない事とか技術的な解説を補足的に話すだけで良いのにと思う。スポーツ実況ではアナウンサーも解説者ももっと静かにして欲しい。
 シットコムと呼ばれるテレビドラマがある。
 シットコムとはシチュエーション・コメディーの略で、登場人物や場面が固定され、毎週30分程で話が完結する連続コメディーである。アメリカで製作され、日本でも放送された「アイ・ラブ・ルーシー」や「奥様は魔女」がその代表作で、私も記憶に残っている。このシットコムでは場面に応じて録音した「笑い声」を編集して挿入されるのが特徴で、視聴者はついこの笑い声に引き込まれるというのが制作者のねらいである。
 最近はバラエティー番組などでもやたらと挿入「笑い声」が多く、騒々しい。コメディーの場合、適度な「笑い声」は気にならないが、やたらとゲラゲラ笑い声の入る番組は聞き苦しい。
 番組制作者は視聴者に受けると思ってやっているのであろうが、私のような老人に対しては見当違いである。
 とはいうものの、視聴率は年代別に集計されていて、老人層の視聴率はCM価格にあまり反映されないのだと言う。
 老人には見てもらわなくても結構ですと言われそうだ。

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No334 品格

334hama藤原正彦著「国家の品格」が出版され、大ベストセラーになったのは2年程前のことである。

 このブームの後、2匹目のドジョウをねらって、雨後の竹の子のように「○○の品格」という本が出版されている。

 インターネットで調べてみるとその数は40種以上もあり、次に挙げるのはその主要なもののタイトルである。

 仕事の品格、日本人の品格、おやじの品格、総理の品格、女性の品格、男と女の品格、大統領の品格、政治の品格、人間の品格、企業の品格、元帥の品格、上司の品格、人間の品格、日本人の品格、男の品格、父親の品格、会社の品格、 話し方の品格、恋の品格、子供の品格、教育の品格、花嫁の品格、親の品格、不倫の恋の品格、夫婦の品格、朝飯の品格、母の品格、横綱の品格

 私はこれらの本を1冊も読んでいないので、本の内容についてあれこれ言うことはできないが、「恋の品格」「不倫の恋の品格」から「子供の品格」「朝飯の品格」まであるのには驚いた。

 「国家の品格」が売れたことから、これに続けとばかりに「品格」本を出すこと自体、品格のないことで、何でも品格を付ければ良いというものではないだろうと思う。

 本屋をのぞいてみると、今週のベストセラーと書かれたコーナーに板東真理子著「女性の品格」と「親の品格」平積みされていて、よく売れているようだ。二番煎じ、3番煎じと言われようが、品格がないと言われようが、これだけ売れれば出版社も著者もホクホクであろう。

 「女性の品格」「親の品格」の隣に阿川弘之著「大人の見識」が並んでいた。

 阿川弘之さんは1920年生まれだと言うから、誕生日が来れば88歳になる文化勲章受賞の大作家である。

 以下は序文から私の推定であるが、出版社がその大作家に「大人の品格」について書くように頼んだのだが、そんな品格のないことはできないと、「大人の見識」と題して、書かれたもののように見受けられた。

 読んでみると、体験に即して書かれた内容に納得したり感心したりで、作家生活60 年の見識には、老作家のさすがと思わせる品格があった。

(写真は阿川弘之著「大人の見識」新潮新書)

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No333 冷凍食品

333hama

 中国製冷凍ギョウザに毒物が混入し、大騒動である。

 市販の食べ物で中毒を起こすとはとんでもない話で、新聞もテレビもこのニュースを大きく取り上げるのは当然であろう。原因が明らかになるにはまだ時間がかかりそうだが、被害者が快方に向かっているのは、不幸中の幸いであった。

 わが家について言えば、冷凍ギョウザに限らず、調理済みの冷凍品を使うことはないので、今回の騒動に直接関係することはなかった。

 スーパーの冷凍品コーナーをのぞいてみると、騒動前までは大きなスペースを占めていたギョウザやシュウマイなどの冷凍品が少なくなって、国産ブランドのギョウザなどが少し並んでいた。 報道によると、ギョウザの皮がこれまでより1・5倍ほども売れているそうで、中国品の代わりに手作りする主婦が増えているようだ

 もう数年も前になるが、中国産の冷凍ほうれん草やネギの残留農薬が報道されたことがあった。その時は中国産の冷凍きざみネギを薬味として使っており、それ以降中国産の冷凍野菜を使っていない。

 と言っても、冷凍食品はとても便利なので、わが家の冷蔵庫には常に何らかの冷凍品が保存されている。現在、冷凍庫の入っている冷凍食品は讃岐うどん、海鮮ミックス、コーン、サケ切り身に肉類、ボイルしたインゲンとブロッコリー、残ったご飯を冷凍したものなどである。肉類は冷蔵品を買ってきて冷凍したもので、インゲンとブロッコリーは自家製である。讃岐うどんは名前の通り国産、海鮮ミックスはミャンマー産、コーンはアメリカ産、サケはチリ産である。

 スーパーに並んでいる食材の原産地を見ると、肉も魚も野菜も世界中から集まっている。

 その中で、中国品は残留農薬で過去にも問題を起こしており、中国品は安いのだが消費者は中国品を敬遠しているようだ。私も中国品を避けたい気分になる。

 しかしながら、中国品以外なら絶対安全かといえばその保証もなく、国産品も偽装だらけであった。

 産地偽装や賞味期限の改ざんでは大事に至ることはなさそうなので、五感をとぎすまし、国産品食べる方が少しは安心かもしれない。

 (写真はスーパーの冷凍品コーナー)

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No332 映画「アース」

332hama

 作家高樹のぶ子さんのホームページに、映画「アース」を見て感動し、「是非是非、見て下さい」とあったので、そんなに勧められるのならと、この映画を見てみた。

 「アース」は自然や動物のドキュメンタリー映画だということは知っていたのだが、自然と動物の生き様をこれほど劇的に撮影されているとは、見る前にはとても想像できなかった。

 渡辺謙さんのナレーションとベルリン交響楽団の音楽が流れる中で、北極のシロクマから始まり、象、ライオン、クジラなど動物たちがたくさん登場する。

 動物たちは自然と闘い、動物同士で戦い、常に生存競争にさらされていて、この様子が 見事にとらえられていた。

 飢えたライオンが集団で象を襲い、飢えたシロクマが単独でセイウチを襲う姿は自然界の生存競争の激しさに、思わず戦りつした。

 シロクマ親子や象の親子、クジラの親子など、親が子供に見せる愛情表現は人間と同じようでほほ笑ましい。

 その他にもびっくりする場面や感動的な場面がたくさんあって、とても紹介することはできず、詳しくは映画を見てもらうしかない。

 動物たちが繰り広げるドラマは人間よりも刺激的である。

 この映画は英独共同で、5年間にわたり、撮影日数延べ2000日かけて制作されたという。 最新の撮影技術が駆使されたそうで、映像がきれいなのはもちろんだが、何よりも動物たちが繰り広げるドラマの決定的瞬間が見事にとらえられている。  数秒か1分程度の映像のために、撮影スタッフは何日もその瞬間を待ち続けたのであろうと思うと、気の遠くなる思いである。

 最近の映画はコンピューターグラフィックで、合成したり、修整したりして制作されることが多いが、この映画は一切そのようなことはないようだ。何も演出しないで、事実をそのまま撮影した映像は迫力があり、感動的であった。

 動物たちは地球の温暖化に伴う生活環境の変化に苦しんでおり、例えば北極のシロクマは氷海が減少して、生存が脅かされているという。

 この映画は動物の生存を脅かす地球環境変化に対する警鐘でもある。

 (写真は映画の一場面、「アース」のHPより)

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No331 大寒

 331hama23日、横浜に初雪が降った。早朝から降り始め、午前中いっぱい降って、屋根や芝生などが白くなったが、気温が高く、道路に積もる程ではなかった。以前は降った雪が、日陰で1週間程も残っていた記憶があるが、今回は屋根の雪も日陰の雪も翌朝にはとけてしまっていた。

 この数年、積もるほど雪が降らない。
 横浜へ転居して最初の冬、今から8年前に20㌢ほども積もったのが積雪らしい積雪の最後である。この時は除雪用のスコップがなく、すぐ近くのスーパーでもスコップなどが売り切れで、相棒がちりとりとほうきで除雪したら 、ちりとりの先が欠けてしまった。
 これに懲りて、その後、除雪用のスコップを買ったのだが、一度も使う機会がない。先日の雪もスコップを使う程ではなかった。
 この数日、寒い日が続いているが、寒いと行っても以前の寒さとは違うように思う。今年になって霜が降りたのは1日だけのようで、玄関周りのパンジーの土が凍っていたのも数える程しかない。最初に東京に来たころは霜柱をよく見かけたのだが、最近は霜柱を見かけなくなった。
 玄関周りに置いていた鉢植えのベゴニアやオリヅルランはさすがに寒さで枯れてしまったが、ビオラが元気である。寒中のビオラやパンジーは花が少なく寂しいのが普通だが、今年のビオラは花がたくさん咲いてにぎやかだ。
 大ざっぱに言えば、今冬の当地の気温は、40年ほど前に過ごした九州(大牟田)ぐらいの寒さのように感じられる。
 大牟田では霜が降りることはあまりなく、霜柱が立つことはなかった。 雪が降っても、積もることはほとんどなく、積もってもすぐ消えてしまった。ちょうど昨今の当地のようである。
 暖かいのは生活する上では何かと好都合で、暖房費が助かるし、出掛けるにも楽である。
 冬だけに限って言えば、暖かいのに越したことはないのだが、喜んでばかりはおられない。冬暖かい以上に夏は暑くなって、昨年の夏は記録ずくめの猛暑であった。
 地球規模での温暖化が問題になっており、温暖化をもたらす炭酸ガスの抑制について議論されている。私たち個人個人も温暖化についてひと事ではすまされない。 

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No329 ミシュランガイド

329hama  新春随想の中で、ミシュランガイドについて書いた。ところがこの時は本物のミシュランガイドを見たことがなく、新聞記事とインターネット情報で書いたのである。

 立ち読みぐらいはしてみたいと思っていたが、ミシュランガイドが売り出された11月下旬には即日完売ということだったし、12月に第2刷が売り出されたときもすぐに売り切れてしまった。

 正月明けに本屋に聞いてみると、当分、入荷の見込みがないという。 先日、ようやくインターネットの通信販売でミシュランガイドを手に入れることができた。

 手元に届いたミシュランガイドは新書版よりやや大きめの415ページ、上質紙で重みのある本であった。本の内容は三つ星から一つ星のレストラン150店と、快適と評価された28ホテルの紹介で、その他に前文や地図が載っている。

 レストランもホテルも見開き2ページで紹介されていて、左側が写真、右側は地図と写真、紹介文となっている。写真はレストランの場合、室内の写真1枚に料理の写真2枚、玄関の写真1枚が標準で、ホテルの場合はロビー、客室、プール、眺望、外観などの写真が載っている。

 紹介文は店の簡単な生い立ちや料理人の紹介、料理の特徴や店内の雰囲気などが400字程度にまとめられている。その中から☆☆☆の和食料理店「神田」の料理を紹介したものを抜粋すると次のようである。

 『食材を吟味し、季節感を大切にする「神田」。(中略)旬の魚介を旬の味わいで食する悦び。野菜も春から夏にたっぷりと日を浴びたもの、冬にしっかりと根をつけたものなど、四季それぞれの生命力がみなぎっている・・・・』

 料理やその味の紹介は難しいのだが、私には残念ながらこの文章を実感することができない。具体的に言うと「生命力のみなぎっている野菜」と「スーパーで売っている野菜」を舌で区別できるかと問われても、できそうにない。

 店の紹介には昼食と夕食の標準的な値段が出ていて、昼食ならコース料理で3~5千円の店がたくさんあり、私でもたまには行くことができそうだ。その「味わい」を舌で試してみたいが、どこも予約が必要で、予約が取れるかどうかが問題である。

 (写真はミシュランガイド第2刷)

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No328 年賀状

328hama_4  今年届いた年賀状は約90枚、年々少なくなっており、昨年あたりから100枚を下回るようになった。少なくなったのは、年賀はがきの代わりに年賀メールを送るようになったためと、会社関係のつき合いで出していた人の年賀状をやめたためである。

 大学時代の友人とか会社関係の旧知の人などで、メールアドレスの分かっている人には、昨年からはがきをやめて、新年の賀状をメールで出すことにした。こちらからメールを出しても、向こうからは葉書で賀状が来ることが多く、何だか申し訳ない気持ちがしないでもない。  

 届いた年賀状をみると、パソコンを使った賀状が随分と多くなり、およそ三分の二がパソコンを使った賀状である。 あて先が手書きだと、字の癖で相手が分かることもあって懐かしいのだが、パソコンではこの味わいはなくなった。

 文面は写真を入れたものがかなりある。

 以前から若い人たちからもらう年賀状は子供の写真を入れたものが多く、赤ん坊のころから写真入り年賀状をもらっていると、「もうこんなに大きくなったの!」と、子供の成長に驚いてしまう。

 最近はリタイヤした中高年からの年賀状にも写真が多くなった。その多くは夫婦二人が並んだ写真で、海外旅行に行ったときの写真とか、ハイキングや登山の時の写真である。

 写真には「マッターホルンを望む」とか「ヨセミテ・セカドラルを背景に」「蔵王地蔵山にて」等と書かれていて、夫婦ともにバッグを背負った姿が写っている。

 写真を見ると、「髪が白くなった」とか「髪が薄くなったとか」「太ったなー」とか、近況を伝えるものがあって楽しい。

 私の年賀状もここ数年、夫婦の写真を入れている。一昨年はオランダ、昨年はトルコ、今年はエジプトに行ったときの写真と、相棒が作った干支の手芸品などの写真をデザインして、年賀状としている。

 年賀状に添えられる1行か2行のコメントも嬉しい。今年面白かったものは、メールに書かれていたもので、

 「昨年はギ、ギ、ギーと、いやな音が流行した年でした。今年はハ、ハ、ハーと笑える、ルンルンルンの年になって欲しいですね」

(写真は今年の年賀状)

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新春随想 私の三つ星レストラン

2008hama_2 昨年11月、レストランを格付けする「ミシュランガイド・東京版」が発売され、テレビや新聞でも大きく報道された。

 ご存じとは思うが、念のため説明すると、フランスのミシュラン社が、ヨーロッパ各地のレストランを覆面調査員が調べ、レストランを三つ星、二つ星、一つ星に格付けした。この格付けを書いた冊子がミシュランガイドである。

 三つ星(☆☆☆):そのために旅行する価値がある卓越した料理 

 二つ星(☆☆):遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理

 一つ星(☆):その分野で特に美味しい料理

 ミシュランガイドで☆を一つでももらうことは素晴らしいレストランとして評価されたことになり、まして☆☆☆と評価されれば最高級のレストランとして評価されたことになる。

 このミシュランガイドはフランスを中心に古くからヨーロッパで発行されてきたが、2005年にはアメリカでも発行され、そして昨年は初めて東京で発行された。

 東京では16万店あるといわれる飲食店から1500店をまず選び、日本とヨーロッパの5人の覆面調査員が1年半かけて訪ね歩き、点数を付けたのだという。

 その結果、東京では☆☆☆に8店、☆☆に25店、☆に117店、合計150店が選ばれた。これまでに一つ以上の☆を得た店はパリで64店、ニューヨークで39店だそうで、東京は「世界で一番、おいしい料理を食べることができる都市」ということになった。

 インターネットで発表された店をみると日本料理店が6割程度と多く、ついでフランス料理、後は中華料理、イタリア料理などである。日本料理はすし店が多く、うなぎ、ふぐ、そば店なども含まれていた。

 これらの店の中に、私がこれまでに行ったことのある店があるかどうか目を凝らして見てみたが、残念ながら150店の中にこれまでに行ったと確信できる店はなかった。ただ、☆店の姉妹店には現役のころ、何度か行っているのがせめてもの慰めであった。

 この格付けが発表されてからは、☆☆☆店の予約が殺到し、既に年内は予約が一杯で、年が明けてからの予約も受け付けていないという。 しかしながら、予約が取れるか取れないかは、私には関係ない。

 ☆☆☆店はもちろんのこと、☆店でも夜の席は2万円から3万円、安いところでも最低が1万円ぐらいが相場で、年金生活者が気軽にゆけるところではない。

◇              ◇

 この年令まで毎日食べ続けてきて、70年で計算すると7万6千回あまりも食べてきたことになる。

 18才までは母親が作った食事、それ以降は下宿や寮の食事、結婚してからは妻の作ってくれた食事、学生の時も社会人になってからも食堂や仕出し弁当の昼食、夜の会食などすべて合わせると、前述の回数にもなり、随分と食べたものである。

 これだけ食べてきて、「あの時はおいしかった」「あれはうまかった」といえるものは何だったろうかと自問すると考え込んでしまう。

 ☆☆☆レストランに行っておれば、そこの食事がうまかったといえるかもしれないが、残念ながら☆の付いたレストランには行ったことがない。 ☆の付いたレストランと同クラスのレストランで食事をしたことはあり、そのようなレストランはうまいには違いないが、「うまかった」と今でも記憶に残っているものはない。

 海外旅行で何回も食事をしてきて、昨年のハワイ旅行で食べた伊勢エビはうまかったほうであるが、ほかに特別うまかったという思い出はない。

 特別うまかった、というべきかどうか迷うところだが、これまでに「うまいなー」感じて、記憶に残っているものを挙げるとすれば、次のようなものである。

・ヨーロッパ旅行帰りのJALで出た機内食のおでん

・ライン川下りの船の中で食べた柿の種

・エジプトから帰った直後に食べたおにぎり

 いずれも海外旅行からみのもので、最初の機内食のおでんは、大根だったかこんにゃくだったか忘れたが、日本の味と同じおでんが出て、ダシの利いたしょうゆ味で口の中が洗われるようにうまかった。

 2番目の柿の種は、ライン川下りでツアーの仲間とお茶を飲んでいるとき、日本から持参した柿の種を分け合って食べたもので、香ばしい柿の種が何とも言えずうまかった。この時、前の席に座っていた新婚らしいカップルが、柿の種の焦げたようなしょうゆの香りにたまらないと言って振り向いたので、小袋をプレゼントしたほどである。

 三番目はエジプトの旅行記に書いており、エジプトから帰って、コンビニで買ったおにぎりが、とてもうまかったというものである。エジプトに限らないが、香辛料の利いた食事を続けていると、米を炊いただけの、香辛料を全く使わないおにぎりが実にうまく感じられた。

 70年間に食べたものの中で、美味しかったと言えるものがおでん、柿の種、おにぎりでは情けない話ではある。

 落語の「目黒のさんま」にあるように、うまいかまずいかは食べる人の状況によって決まってくる。毎日毎日、☆☆☆レストランで食事をしていたら、☆☆☆レストランの料理でも感動する程おいしいとは思わないであろう。

 「すき腹にまずいものなし」「空腹は無上のソース」「空腹は最上の料理人」といった言葉があり、腹が減っておれば何でもうまいし、日本を離れて外国の料理ばかり食べていると、しょう油味がこの上もなくうまくなる。

 運動したり、仕事をしたりして汗を流し、腹をすかせて食べれば、1杯のビールが☆☆☆レストランで飲むビール以上にうまいし、何を食べても☆☆☆レストランで食べるのと同じかそれ以上にうまい。

◇              ◇

 私の知人に大阪出身で、秋田県の女性と結婚した男がいる。その彼は私と同年で、若いときは奥さんの作ったものを何でもおいしく食べていたが、年を取ってくると、若いころに食べた関西風の味に対する懐かしさが次第に強くなってきたという。

 みそ汁や薄味のうどんなど、昔の味に出会うと、味の記憶がよみがえってきて、つい「うまいねー」と口に出し、お好み焼きやたこ焼きなど関西の食べ物を口にすると、子供の時食べた情景が浮かび、親兄弟や友達などの顔が浮かんでくる、といった。

 ところが、奥さんはこの関西風の味になじめず、旦那がお好み焼きやたこ焼きから思い浮かべる情景などとうてい分かるはずもない。

 その代わりというか、奥さんは秋田のみそ味をおいしいと思い、きりたんぽや山菜などに引かれるものがある。

 大阪出身と秋田出身の夫婦の場合、奥さんが食事を作るので、どうしても奥さん好みの味なり料理となり、旦那はそれが不満のようだった。 きりたんぽ鍋はうまいのだが、旦那は奥さんのようにきりたんぽ鍋で昔の家族の情景を思い出すことなどできないのである。

 私は幸いにも妻と同郷なのでこの様なことは起こらない。

 昨年の秋ぐらいからのことだが、近くのよく出掛ける食品スーパーに、昔はテンプラと呼んでいたジャコテンが並ぶようになった。以前にも食品フェアーなどでジャコテンが売られていたことはあるが、そのころはとても高かったのだが、そのスーパーのジャコテンは1枚30円弱で買いやすい。時々買って、味噌汁に入れたり、うどんに入れたりして食べていて、私も妻も子供の時食べたお袋の味がよみがえってくる。

 妻は、お祭りや祝い事の時に必ず作られたちらし寿司を今も上手に作り、それを食べると大きなすし桶一杯に作られたお祭りの時の情景を思い出し、話が合う。

 私にとっての☆☆☆レストランは妻が作ったり、私が作ったりしたものを家族で賑やかに食べるわが家の食事である。

(写真はミシュランガイド2008東京の表紙

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No327 「偽」

327hama  今年の世相を表す漢字に「偽」が選ばれた。

 清水寺の貫主がこの字を大きな紙に書いて、「この様な字が選ばれるとは情けない」と嘆いていたのが印象的であった。

 漢和辞典で偽を引いてみると、①いつわる。ほんものに見せかける②にせもの。いつわり。うそ・・・とあり、「偽証」「偽造」「偽物」などと例があった。

 ご存じのように今年はひき肉、チョコレート、団子や牛肉など身近な食べ物の偽装が相次いで発覚し、「まともなものはどれ」といいたくなる。

 肉や魚、豆腐やめん類など、産地や製造日、賞味期限などを見ても、「これ本当かな?」とつい疑いの目でみる癖が付いてしまった。

 偽装の報道を見ると、偽装は何も今年になって行われたものではなく、長年行われてきたものが今年になって発覚した、ということのようである。発覚したきっかけは内部告発にあるようで、告発によって長年の悪弊が今年になって正されたと考えれば、悪いことばかりではない。

 幸か不幸か、食べ物の偽装で、それを食べた人から、「味が悪かった」とか「古くなっていた」というような声は全く聞かなかった。だから偽装が許されるというのではないが、食べ物を大切にするという精神から、消費期限などを見直しても良いようにも思う。

 私が問題だと思うのは政治家の言葉の「偽装」もある。

 年金問題について「最後の一人まで、最後の1円までチェックする」と声高に叫び、今になって「あれはスローガンだから」とはあきれてしまう。

 民主党は選挙で、インド洋の給油活動に反対と公約し、国民はその民主党にたくさん投票した。その後の国会活動で、民主党は給油活動に反対を続けているが、その理由がはっきりしない。「国民に約束したことだから賛成できない」と、民主党ははっきり言えないのだろうか。参院選挙で掲げられた国民への約束が何だったのかといいたくなる。

 食品の偽装では、社長が頭を下げて謝罪会見する姿をよく見かけるが、政治家の謝罪会見を見たことがない。

 「偽」の反意語は「真」である。来年は「偽」に代わって、「真」が選ばれる世相になって欲しい。

 今年最後となりました。皆様良いお正月を。

(写真は「偽」を書く清水寺貫主。朝日新聞より)

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No326 いきいき健康農園(10)

 326hama 今年の夏は雨が少なく、暑かった。

 里芋の葉が黄色くなったので何度も水やりをしたが、昨年のように葉が大きくならなかった。掘り上げてみると小さい小芋が多く、今年の里芋の成績はいまいちだった。

 それにくらべ、今年のサツマイモはほくほくのイモがたくさん採れて好成績であった。初めて植えたショウガは里芋と一緒に水やりをし、敷きわらをしたかいあって、大株のショウガができた。スーパーで売っている国産ショウガは小さいものが200円もするので、収穫したショウガは1株千円といっても決して高くはない。

 よくなかったのはピーマン、ナス、シシトウで、ほとんどまともな実が採れず、ジャガイモの後に植えた連作障害だと思っている。

 現在はダイコン、カブ、キャベツ、ブロッコリー、白菜、しゅんぎく、みずなを収穫中で、どれも自慢できる程のできばえである。

 キャベツとブロッコリーは、毎年、青虫に悩まされていたのだが、今年は玉になる前に消毒した効果が出て、虫が少なく、これまでで一番大きなキャベツやブロッコリーがとれた。10数株のブロッコリーだけれども、ブロッコリーは一斉に収穫期を迎えるのが悩みの種で、採るのが遅れると花が咲いてくる。収穫したものを軽くボイルして冷凍保存した。ところが、側花から出た二番目のつぼみがもう大きくなっており、まもなく収穫できそうになっている。

 キャベツは畑の置いておき、食べる分だけ収穫すればよいが、昨年はヒヨドリに食われてしまった。今年はまだヒヨドリがきてはいないが、防鳥ネットを買って、ヒヨドリの襲来に備えている。

 ソラマメをこれまで2度植えて、2度とも失敗した。1年目には花が咲くころに黒いアブラムシが大量発生し、実がならなかった。2年目にはタネを鳥ににほじくられ、食われてしまった。 昨年は挑戦しなかったが、今年は再度ソラマメに挑戦している。

 まいた種を鳥に食べられないよう土にそのまま埋め込むタイプのポットに種をまき、芽が出たとものをポットごと畑に植えた。花の咲くころに消毒をしてアブラムシを防ぎ、ソラマメをたくさん収穫したいと期待している。

(写真は収穫野菜)

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No325 正倉院展

325hama 先月、奈良に行った際、正倉院展を見てきた。

 正倉院とは、今から千二百年程前に建てられた建物で、ここには約9千点の宝物が伝わっている。この宝物の一部を毎年秋に公開するのが正倉院展で、今年も奈良国立博物館で59回目が開かれ、70点の宝物が展示された。

 正倉院展は毎年たくさんの入場者を集めているのだが、今年は新聞社が協力したこともあって 特に多いという。午前中は長い行列ができているそうなので、夕方4時過ぎに行ってみた。

 博物館横の広場にはテントが幾張りも並び、正倉院グッズや土産物を売っており、簡単な食べ物なども売っていて、ふだんは静かな博物館周りに人があふれていた。 それほど待つことなく入館できたが、見学者が多く、展示物の周りに人だかりができていた。

 展示品は奈良時代(8世紀)に製作されたものがほとんどで、聖武天皇の遺品、楽器文房具、仏具、織物や染織品、経巻、文書など多岐にわたっていた。どれも千二百年以上も前に作られたものにも拘わらず、きれいに残っているのには驚いた。

 木製の箱やふたものが何個も展示されており、そのどれもに精細な細工が施されていて、技術の高さには感心した。 文書や経巻の文字は見事で、現代の書家が書いたもののようであった。 庶民の上着や下着なども展示されていて、はにわに見るような素朴な形に親しみがあった。

 正倉院展を見ながら、春に行ったエジプトの考古学博物館を思い出した。エジプトの展示品とここの展示品が余りにも違いすぎるのである。

 エジプトの展示品は大きな石像や金ぴかの装飾品などが並べられているのに比べ、正倉院のものは、こぢんまりとしていて繊細である。もちろん、エジプトのものは屋外の石像や王墓からの出土品などを集めたのに対し、正倉院という木造の倉庫に収蔵されていたものという根本的な違いはある。またエジプトのものは時代が古いということもあるだろうが、それにしても、日本人とエジプト人の感性の違いというものを感じざるを得なかった。 

 現代日本の車や電気製品など工業製品の信頼性の高さは、奈良時代に作られた宝物にもその一端がうかがえるような気がした。

 (写真は正倉院展の入場券)

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No324 ハワイの旅(5)

5・6日目

 5日目の早朝、ハワイをたって日本に向かった。 日本からハワイまでの飛行時間は、偏西風の関係で往路7時間、復路8時間である。

 ところが日本とハワイの間には日付変更線があり、時差が19時間もあるのでややこしい。ハワイからの帰りは、ハワイ空港を10月25日午前8時半に離陸し、成田空港には10月26日午前11時半に着陸した。実際に飛んでいる時間は8時間なのだが、時差の関係でこの様なことになり、5・6日目は帰りの飛行機の中であった。

3241hama  ほんの4日間ではあったが、ハワイについて感じたことを書いてみたい。

 ハワイに訪れる観光客はおよそ700万人だそうで、日本人は2割強、150万人だという。2割強と言っても、米国本土からの観光客に比べて日本人はお金をたくさん使い、ハワイの観光産業にとって重要な客のようだ。

 ホノルルにおよそ2万人の日本人観光客が滞在しているのだそうで、どこを歩いていても日本人観光客に出会った。「すし」「ラーメン」といった日本語の看板もあちこちに見られ、土産物屋などではどこも日本語が通じた。コンビニが至る所にあって、そこには日本と同じように弁当コーナーがあり、サンドイッチやパンなどと共に、おにぎり、巻きすし、稲荷(いなり)すしが並んでいた。私の好きな稲荷すしと巻きずしの詰め合わせを買ってみると、650円で日本よりやや高めだが、味は日本のものと変わらなかった。

3242hama  ハワイの水道は日本と同じように飲め、これは嬉しいことだった。

 水が飲めない国では、歯を磨くのも気になり、食事に出てくる生野菜などにも気を使うのだが、ハワイはこのような気遣いは要らなかった。

 スーパーマーケットには日本と同じように魚も野菜も売っており、ゴボウまで売っていた。

 ハワイの日系人は2割程度といわれるが、現在では4~5世の時代になっており、混血も多く、日系だから日本食ということでもないらしい。

 日本食やその食材が広く受け入れられているようである。

 ハワイは間違いなく外国であるけれども、日本人にとっては外国だという感じが一番しない国かも知れない。(ハワイの旅終わり)

(写真上:コンビニで売っていたいなりと巻きずし、写真下:レイ作り体験で)

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No323 ハワイの旅(4)

 4日目

 この日は朝からシュノーケリングを楽しんだ。 これはパイプ状のもの(シュノーケル)を口にくわえて息をしながら海に浮かび、魚などを観察するものである。

 さんご礁の発達しているハナウマ湾に行き、40才ぐらいと思われる男性ガイドがシュノーケルを使った呼吸法や海面での起きあがり方などを指導してくれた。早速、足ひれとシュノーケル、ライフジャケットを付け、ガイドと一緒に海に入った。

3231hama_2   シュノーケリングは初めてであったが、思ったより簡単で、ガイド、相棒、私の3人で手をつなぎ、足ひれを使って沖に向かって進んでいくと小魚が群れて泳いでいるのが見えてきた。海底が砂地からさんご礁地帯に入ると、黄色や青いひれの10㌢から20㌢ほどの魚がゆっくりと泳いでいるのが見えた。さんご礁は土色をしていて大部分が死んでいるようだったが、所々に帽子のような白い部分があって、さんごが再生しているのではないかと思う。

 さらに進んでいくとやや深くなってきて、さんご礁の間に50センチ以上はありそうなタイのような魚がゆっくりと泳いでいるのが見えた。このあたりの海は禁漁区になっているそうで、魚が多く、魚が全く人を恐れないようだった。

  ウミガメが泳いでいるのも見え、魚もウミガメも人が近づいても逃げようともせず、我がもの顔に悠々と泳いでいた。

 およそ1時間、ガイドに連れられて海面に浮かんでいて、何度かシュノーケルから海水が入ってはき出したが、初めてにしては大満足の海中散歩であった。

 午後からはショッピングモールをひやかしながら、街の中を散策した。 日ざしは強いが、気温は30℃ぐらいであろうか、日陰にはいるとさわやかで汗をかく程ではなかった。どこも観光客でにぎわっていて、人通りが絶えなかった。

3232hama

 ハワイ最後の夜は浜辺に面した、テラスのレストランで、太平洋に夕日が沈むのを見ながら夕食を取った。 

 このレストランはサラダや軽食類がバイキング方式になっていて、肉とか魚介類は注文したものを自分で焼いて食べるシステムである。。

私たちは伊勢エビと牛肉料理を焼き、伊勢えびがえも言われぬ美味しさであった。

(写真上:シュノーケルをくわえて、写真下:太平洋に沈む夕日)

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No322 ハワイの旅(3)

 3日目

 私はハワイに行くからには、ハワイの海で泳ぎたいと思っていた。

 泳ぎを始めて10年にもなるが、小さいプールで泳ぐばかりで、これまでに海で泳いだことがないのである。

 3日目の朝9時過ぎ、水着をつけ、その上に短パン、Tシャツを着て、ホテルの大きな水泳用のタオル2枚を抱えて、相棒と一緒にワイキキ海岸に向かった。

3221hama  海岸に着くと既にかなりの人が砂浜にきていた。私たちは砂浜のヤシの木陰にタオルを敷き、そこで水着姿になったが、ほとんどの人が太陽の照りつける砂浜を選んで寝そべったり、腰を下ろしていた。

 海に入っている人は少なく、海に入っている人も空気の入ったマットのようなものに乗っかっている人や、浮き輪につかまっている人が多かった。 私たちは平泳ぎ、クロール、背泳にバタフライまで泳いでみたが、本格的に泳いでいる人はほとんどいなかった。

 砂浜も海の中もアジア系の人は少なく、白人の老若男女がほとんどで、この人たちは太陽に体をさらして、日焼けするのが目的のようである。日本の海水浴ではたくさん見られるビーチパラソルがなく、帽子もかぶらず腹ばいになったり、あお向けになったりで、太陽に当たっている姿には少しばかり驚いた。この人たちは日射病にならないのだろうかと心配になってしまう。

  もう一つ驚くのはこの人達の胴回りが大きいことである。子供や若い人を除けば中高年ではほとんどの人の胴回りが1㍍を超えていそうだ。 私たちは1時間程海にいただけなのだが、それでも水着の跡がはっきり分かるように日焼けしてしまった。ホテルへ帰ってシャワーを浴びた後、昼食を食べようと、ホテルの下のレストランに入った。

3222hama  私はサラダランチ、相棒はサンドイッチランチを注文し、出てきた料理を見て驚いた。どれも量が多いのである。ジュースのコップは日本のものに比べて倍以上はありそうだし、スープもパスタのようなものが入ってそれだけでも1食分ありそうだった。サラダもサンドイッチも大きにかった。この食事の量を見ると、男も女も腹囲の大きい人がうようよいるアメリカ社会が納得できるような気がした。

(写真上:マイアミビーチ、写真下:この日の昼食)

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No321 ハワイの旅(2)

 2日目

 3211hama 2日目はツアーに組み込まれている「オアフ島一周観光」である。

 25人乗りの小型バスに22人乗って、8時過ぎにホテル前出発。運転手の外にガイドがつくのかと思ったら、運転手がガイド兼用であった。このガイド兼運転手は50代の日系人で、日本人と同じように日本語を話し、話術が巧みで盛んに乗客を笑わせた。

 海岸線を東に進んでいくと山が迫っていて、山の斜面にも家がひな壇のように並んでいた。  道路の沿った家並みが生け垣で囲まれ、灰色の屋根が見える景観はまるで日本の海岸を走っているようであった。

 サンゴ礁の広がるハナウマ湾、岩礁に波がぶつかって潮を吹き上げる潮吹き岩を眺め、島の北側に回っていくと、そこはに白い波が打ち寄せていた。ここはサンセット・ビーチと呼ばれ、夕日の美しいところだというが、それよりも現在はサーフィンのメッカになっている。砂浜にはサーフボードを抱えた人が歩いており、沖には波にのっている人もいて、サーフィンの世界大会も催される所だという。

 ランの花で首に掛けるレイ作りを体験し、土産物屋でバイキングの昼食をとり、島の中央部に向かった。

 なだらかなパイナップル畑が広がっており、コーヒー園も見えてきた。 ガイド兼運転手の話ではパイナップルもコーヒーも低賃金の新興国に押されて、ハワイの農業は厳しい状況にあるという。

3212hama  観光の最後はツアーの案内には載っていなかった「日立の樹」を見にいった。日立提供のテレビ番組で流されるCMソング「この木なんの木気になる木・・・」に出てくる茶碗を伏せたような形の木である。

 広い芝生の公園の中にその木はあった。資料によると樹齢130年のアメリカネムで、高さ25㍍、枝の広がり40㍍、幹回りは7㍍だという。実物を見ると、TV画面で想像するよりははるかに大きく、貫禄充分、威厳さえ感じられた。 

 真珠湾もみたかったが、ここを観光するにはさらに半日程はかかりそうで、遠くから湾を眺めるに止まった。

 青い海と白い波、ヤシの茂った砂浜、それに「日立の樹」が印象に残ったオアフ島一周であった。

(写真上:さんご礁の広がるハナウマ湾、写真下:日立の樹)

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No320 ハワイの旅(1)

 1日目

 5泊6日のツアーでハワイに行ってきた。ツアーと言っても添乗員がいるわけではなく、多くは自由行動である。

3201hama  朝7時にホノルル空港に着くと、旅行社から滞在中の観光などについて説明を聞き、ホノルル中心街までバスで送ってもらって、後は相棒と二人の自由行動となった。

 ホテルのチェックインが3時以降となっているので、それまでホノルルの街を散策することにした。数分も歩くと海に出て、ここがワイキキの海岸であった。黄色みを帯びた砂浜が20~30㍍の幅で続いていて、世界的に有名な海岸にしてはたいした事はなかった。 砂浜にはたくさんの白人男女が寝そべって肌を焼いていたが、海に入っている人は数える程であった。数百メートル沖合に白 波が立っていて、この波に黒い点がぽつぽつと浮いていて、よく見るとサーファーだった。 湘南海岸などでは見たことがないような波が次から次と押し寄せていて、サーファーにとっては天国であろう。

 ワイキキの中心街を日本のカード会社が無料バスを走らせていて、これに乗って市内を観光しながら、アラモアナ・センターまで行った。 

 「アラモアナ・ショッピングセンターは単なる買い物どころというよりも、ハワイ旅行では欠かすことの出来ないアトラクションといってもいいだろう」とガイドブックに出ていて、相棒が出発前にチェックしていたところである。

3202hama_2  最近、東京や横浜にオープンしたショッピングモールに比べると、少しばかり古びた感じはするが、世界最大と言われるだけあって、店の数が多すぎてどこに何があるか分からない。地図を広げていると、案内係の女性が「何をお探しですか」と聞いてきて、「Tシャツを買いたい」というと、日本語でていねいに店を紹介してくれた。 店に行くと応対の女性も日本語で、値段がドルでなければ日本の店と錯覚しそうであった。

 この日の夜はツアーでセットされている「アロハディナーショー」。バイキング形式の夕食を取った後、1時間程のショーがあった。私はハワイアンのゆったりと流れる踊りを想像していたが、ここの踊りは南太平洋諸島の踊りを引き継いでいて、激しいリズムのおどりであった。

(写真上:ワイキキの海岸、写真下:アロハショー)

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No319 シミチョロ

古希を過ぎた私が女性のファッションについて書くことは適任でないと、重々承知している。それでも若い女性が面白い服装をしていると、つい書いてみたくなる。

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 先日、横浜美術館に行ったとき見かけた女性について書いてみよう。年齢は20歳前後、ミニスカートにTシャツ、腰にチャラチャラしたものがたくさん付いた幅広のベルト。ここまでは驚くこともない。

 ミニスカートの下からはヒラヒラの白いものが出ており、その下はひざ下までの足にぴったりした黒いタイツのようなもの(スパッツというらしい)、Tシャツの上には白い薄ものを重ねていた。

 今はすっかり死語になってしまったが、その昔、シミチョロということばがあった。これはシミーズと呼ばれる女性用の下着がスカートの下からのぞいている事を指し、少々品位にかける装いである。すっかりシミーズが姿を消して、スリップが女性用下着に定着すると「スリチラ」という言葉があったと言うが、私は「スリチラ」は聞いたことがない。

 私は先ほどの女性のスカートから出た白い衣装を見て、「シミチョロ」という言葉が頭をよぎった。ひざ下までの黒いスパッツも下着のように見へ、Tシャツの上に重ねた薄ものは肩ひもの付いた下着(キャミソールというらしい)にしか見えなかった。 

 最近は見せる下着というのがあるそうで、私が見たミニスカートからのぞいているものや、Tシャツの上に着ているものが見せる下着というのかもしれない。

 夏にはヘソ出しスタイルや、尻(しり)が見えそうなスタイルで堂々と歩いている女性を見ているので、下着を見せたぐらいでは驚かないが、つい見てしまう。

 女性に限らず、男性も女性もどのような服装をしようが、他人に迷惑をかけない限り、とやかく言うことはない。私は色々な服装を見るのは楽しいので、ついにやにやしながら眺めているだけである。

 見た目にきれいなものや楽しいものは大いに結構だが、汚らしく感じるものは避けて欲しいと思う。その例は穴のあいたGパンで、ズボンのあちこちに、ほつれたような穴があいたGパンをはいた若者を見ると、「どうにかならないの」と言いたくなる。

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No318 電波時計

わが家の目覚まし時計の調子が悪く、相棒は買い換えたいとかねてから言っていた。

 先日、ホームセンターを歩いていたら、たくさん時計が並んでいて、電波時計と表示したコーナーがあった。もう10年ほども前のことと思うが、絶対狂わない時計との宣伝で、電波時計が売り出され、随分と高かったことを思い出す。

 置き時計でも腕時計でも数万円から10万円はしたのではなかろうか。

 ホームセンターに並んでいる電波時計を見ると、驚く程安くなっていて、置き時計なら2~3千円だった。

318hama  早速、大きな字で時刻を表示し、さらに日付と曜日、気温を表示したアラーム付きデジタル電波時計を1980円で買った。

 説明書によると、電池を入れてセットボタンを押すと、電波の受信が始まり、4分から14分で正確な時間が表示されるという。

 その通りにやってみると、電波受信をしめすアンテナマークがピコピコしていて、数分で表示が変わり、午後5時過ぎのその時の時刻を示し、日付も曜日も正しく表示した。まるで時計に意志があるかのように、時刻を表示して、「賢い時計だねー」と私も相棒も感心してしまった。ラジオの時報に合わせてみると、当然ながら秒までどんぴしゃりであった。

 わが家には時計が何個あるであろうか。腕時計を除いても、10個はくだらないと思うが、どれも正確ではない。時計自体はどれも水晶時計になっているのでそんなに狂うはずはないのだが、電気で動いている時計は停電になるとリセットが必要なので、この時正確なセットをしていないのである。電池の時計はセットのやり直しは必要ないが、ずっと時間調節をしていないと少し時刻が狂ってくる。

 電波時計を基準に全部の時計を正確な時間に調整することにした。 炊飯ジャーのデジタル時計が一番不正確で、10分進んでいたほか、どれも1~5分ほど狂っていた。これらの時計を電波時計を基準に、できる限り秒まで時刻を合わせた。どの時計を見ても、同じ時刻になっていて気持ちがよい。

 それでは時計が正確になったから何かが変わったかと言えば、10分進んでいた時計があった時と何も変わってはいない。 

(写真は購入した電波時計)

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No317 愛の讃歌

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 越路吹雪がおよそ40年前に「あなたの燃える手であたしを抱きしめて・・・」と歌った「愛の讃歌」はフランスのシャンソンが原曲である。   フランスの国民的歌手といわれるエディット・ピアフが作詞し、自ら歌ったのが「愛の讃歌」の原曲で、このほどそのエディット・ピアフの伝記が映画化され、9月末に公開された。フランス映画「エディット・ピアフ愛の讃歌」がそれで、先日、相棒に連れられて見てきた。

 エディット・ピアフは、日本で言えば美空ひばりに例えられようか、多くのフランス国民から愛された歌手であった。ひばりが52才で死亡したのと同じように、エディット・ピアフも47才の若さで亡くなっている。

 貧しい生い立ちのエディット・ピアフは路上で歌い、チップをもらって生活しているうちに見いだされて大歌手になるのであるが、その人生はいつも波乱を含んでいて、悲劇的な人生であった。 映画の題名になっている「愛の讃歌」は、恋人のボクサーが航空機事故で亡くなり、その亡くなった恋人思って作詞し、歌われたもだという。

 エディット・ピアフは多くの天才にありがちなように、いい人とはいえず、周囲を波乱に持ち込むことが多かったようだが、その歌声は聴衆を魅了し続けた。映画を見ていても、その生き様に「何とかしてー」と言いたくなるが、最後まで歌声は国民に熱狂的に受け入れられた。

 映画ではエディット・ピアフの生前の歌声がふんだんに流れ、その歌声は例えようもなく魅惑的で、つい引き込まれてしまった。

 このエディット・ピアフの役をまだ若い女優マリオン・コティヤールが演じており、その演技がまた素晴らしかった。私は本物のエディット・ピアフを映像でも観たことはないけれど、本物のエディット・ピアフの声に合わせて歌う場面は到底演技しているとは思えなかった。

 最近、この映画の他、エリザベス女王を映画化した「クイーン」、イギリスの童話作家を映画化した「ミス・ポター」と、3人の女性の映画を続けて見て、どれも感動的な映画であった。

 登場する3人の女性は全く違う個性だが、3人とも実に強い女性で、女性は強いということをつくづく感じた。

(写真はマリオン・コティヤールのエディット.ピアフ)

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No316 彼岸花

316hama_2  今年は9月になっても暑い日が続いたので、彼岸花が咲くのが遅れるのかと思ったら、例年通り彼岸に入ると咲き始めた。
 サクラは気温が高いと早く開花するように、秋になって咲く彼岸花は、気温が低くなると咲くのかと思っていたら、そうではないのであった。
 調べてみると、彼岸花は気温が低くなると開花するのではなく、日照時間があるレベルまで短くなると咲き始めるのだという。桜は暖かくなるにつれて咲き始めるので、南の方から咲き始め、開花が北に向かって進む、いわゆる桜前線があるが、彼岸花は全国ほぼ同時期に開花し、彼岸花前線というものはない。
 秋に咲く花は彼岸花と同じように日照時間が短くなると咲くものが多く、コスモス、サルビア、キク、シャコバサボテンなどがそれで、このような花は短日性と呼ばれ、これに対し、カーネーション、キンギョソウ、クローバー、エンドウなどは日照時間が長くなると咲き始め、長日性と呼ばれる。
 暑い夏であろうとなかろうと、たとえ冷夏であっても彼岸花は名前の通り彼岸になると咲き始め 、極めて律儀な花であった。
 律儀な花にもかかわらず、彼岸花は球根に有毒成分を含むためか、地方によってはシビトバナ、トウロウバナといったイメージの良くない呼び方をされて、以前は評判が良くないようだったが、最近はそうでもないようだ。球根に触ったぐらいで中毒することはなく、種苗メーカーでは彼岸花の球根も売り出していて、庭先に植えられているのをよく見かけるようになった。球根は外国に輸出されているそうで、アメリカでは芝生の中に植えて楽しんでいるそうである。
 「100万本の彼岸花と秋の七草バスツアー」というような彼岸花見物のバスツアーが行われるようになって、彼岸花はすっかり秋の人気者になった。
 彼岸花は花が咲いているときは全く葉がなく、花が終わるころ葉を出し始め、夏草が枯れてくると濃緑の細い葉をのばして、冬の間弱い太陽の光で球根に栄養を蓄える。春になって草が芽吹いてくると彼岸花は草に埋もれて枯れ、他の植物が旺盛に活動している間は眠っている。
 花言葉「肉体の快楽」

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No315 東京バスツアー(下)

3152hama   参議院の通用門に入ると、荷物検査と身体の金属探知検査があった。見学は1時間毎にまとまって引率されるようで、一般見学者が40人ぐらいと、私たちのグループ42人が2列になって引率され、本会議場の傍聴席に座った。ここで15分ほど録音テープで議事堂の説明があり、議事堂は昭和11年完成で、私と同い年であった。

 議場はテレビ等でよく見るように、正面に天皇の席があり、その前に議長席、演壇、速記者席があって、議席が半円形に取り囲んでいる。天井は全面が天窓となっているけれども、全体的に暗い感じで、傍聴席は暑かった。案内人によると空調を28℃に設定しているというが、傍聴席は高い場所にあって、28℃よりは暑いように感じた。

 議場を出て天皇の御休所、中央広間、政党控え室や委員会室のある廊下等を回ったが、どこも閑散としていた。見学した日は安倍総理が辞任を表明した翌々日で、委員会等は全く開かれておらず、休会状態であった。廊下等に敷かれている赤いじゅうたんは何年かおきに更新されるそうで、すり切れていることはなかったが、最近のビルに比べると全般的に暗く、古めかしい感じは否めなかった。

 建物を出て、議事堂正面に出た。だれもが知っている、中央に塔のそびえる国会議事堂の実物の姿は、写真で見るよりも堂々として存在感があった(写真上)。国の最高機関にふさわしい、揺るぎない重量感があった。

315hama_2 見学を終えてバスの駐車場に向かうと、そこに売店があり、国会グッズを売っていた。 「晋ちゃんまんじゅう」はもうなくなるよとの宣伝に、相棒も一箱買った。薄い緑色をした径3センチ程の蒸しまんじゅうが12個入って630円、味はごく普通だが、その包装紙(写真下)が面白い。中央にスーパーマン姿の安倍さんの似顔絵があって、「逆風の中負けるな!晋ちゃんまんじゅう」「人心一新再チャレンジ!」、奥さんの似顔絵に「晋ちゃん、どんなことがあっても私は味方よ」、麻生太郎さんの似顔絵に「晋ちゃんの右腕になって頑張るぜ」と描かれていた。

 再チャレンジもむなしく、晋ちゃんまんじゅうはなくなって、「やっくんのビンボウくじで福が来た!」という紅白まんじゅうが登場したという。

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No314 東京バスツアー(上)

 「国会議事堂・最高裁判所・造幣局をめぐるちょっと知的な日帰りバス旅行」という長い名前のバスツアーに行ってきた。

 国会議事堂には一度行っているがあまり記憶になく、最高裁と造幣局は初めてである。

314hama  8時半に東京駅集合、最初は池袋にある造幣局(写真上)を見学した。

 日本のお金は紙幣が大蔵省印刷局、貨幣は大阪の造幣局で作られるというぐらいに思っていたが、これは間違いだった。紙幣の印刷は独立行政法人国立印刷局で行われており、貨幣も独立行政法人造幣局で行われていて、両者とも旧大蔵省から離れて独立行政法人になっていた。

 造幣局は大阪が本局で、東京と広島に支局があって、今回訪ねたのは東京支局である。

 東京支局でも以前は貨幣を製造していたというが、現在は流通貨幣は製造しておらず、勲章や賞杯等金属工芸品の製造と貴金属製品の品位証明などを行っていて、日本で行われたオリンピックのメタルはここで製造されたという。

 表面がピカピカの基準貨幣や勲章などの七宝作業の工場と貨幣博物館を見学した。

 これまで発行された硬貨や勲章、オリンピックのメタルなどが展示されており、勲章もメタルも赤や緑、青など色鮮やかで見事であるが、どれもガラスを焼き付けたもの(七宝)であった。 時価4千万超の金塊も展示されていて、手で触れる事ができるようになっていたが、持ち上げることはできなかった。

3142hama  赤坂プリンスホテルでバイキング昼食の後、午後からは三宅坂の最高裁判所(写真下)に行った。

 みかげ石をふんだんに配した重厚な建物に入り、その中央にある大法廷を見学した。大法廷は正面に裁判官の席が並び、左右に被告席と原告席、その後ろに傍聴席が並んでいた。裁判官の席が15も並んでいて、奥行きよりも間口が広い感じで、窓のない壁が周囲を取り囲み、中央には高い明かり採りの吹き抜けがあった。

 ここで開かれる裁判は憲法違反の訴えなど、年に数回程度だという。

 大法廷の前は広いホールになっていて、ここには「正義の像」があった。この像は右手に正邪を断ずる剣を持ち、左手には公平を表す天びんを持っていた。

 (国会議事堂は次回)

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No313 「おそれがあります」

 台風の予報を聞いていると、盛んに「・・・のおそれがあります」というのが気になった。「おそれ」とは「虞」のことで、「心配」とか「心配する」という意味である。

 「9号台風が発生し、数日後、日本に影響するおそれがある」というのなら納得できるのだが、「台風9号が伊豆半島沖を北上中で、静岡から千葉の間に上陸するおそれがある」というのには納得できない。

 伊豆半島沖を北上中であれば、静岡から千葉の間に上陸することはほぼ間違いなく、「上陸のおそれがあります」はおかしい。

 「おそれがある」とは「都合の悪いことが起きる可能性がある」という意味で、「大雨のおそれがある」「失敗するおそれがある」というふうにつかわれる。

 台風の上陸がほぼ確実なら、「上陸の見込み」とか「上陸の公算が大きい」ぐらいにしてほしいものである。

 テレビでも新聞でも、言葉や文字が私が理解しているものと違った使われ方をしていて、気になることがままある。

 「一生懸命」や「きら星」がその例である。 「一生懸命」は「一所懸命」が正字で、何かの試験で「一生懸命」と書いて×をもらった記憶があるので、よくおぼえている。広辞苑によると、「一所懸313hama命」とは、「賜った一カ所の土地を命にかけて生活の頼みとすること」とある。

 「懸命」とは「命がけ」ということで、自分の一生に命をかけるのではなく、土地に命をかけるのである。

 「きら星」は「きら星のごとく」が語源で、「きら、星のごとく」と読み、「きら星」と続けては読まない。

 「きら」とは「綺羅」と書き、美しい衣服のこと、「きら、星のごとく」とは「美しい衣服の人が星のようにたくさんいること」を意味している。

 ところが最近の新聞などでは「キラ星」と書いたりして、「夜空の星」をさす事が多くなった。

 最近は「一生懸命」「きら星」と書くことが多く、本来の書き方は忘れ去られるおそれがある。

 言葉は時代とともに変わるもので、「一生懸命」も「キラ星」も使ってはいけないという気はないが、私の頭の中にあるものと違った使われ方をすると、おそれいりましたと言うしかない。

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No312 今年の夏

312hama_3 毎日新聞の川柳欄に今年の夏を詠んだものが出ていて、それを抜き書きする。

 予報ではたしか平年並みの夏

 打ち水と風鈴だけでは乗り切れず

 猛暑日の昼はお休みゲートボール

 歴史的お灸(きゅう)とあったこの猛暑

 熊谷にあの日いたのがプチ自慢

 じっとしていても暑いさ掃除する

  猛暑夏今日は涼しい30℃

  これを読むと、今年の夏をよく表している。

 今年の夏は格別に暑かった。

 家の前に小さな公園があり、夕方や休日には子供の声がにぎやかで、ゲートボールの声もするのだが、この夏はだれもいなくて、せみの声だけが聞こえていた。

 私の住所は横浜市ではあるけれども、港からは遠く離れているので、気温は東京に近いのではないかと思っている。

 その東京では猛暑日と呼ばれる35℃以上の日が7日あり、最低気温が25 ℃以下にならない熱帯夜が22日もあった。

 真夏日と呼ばれる最高気温 30℃以上の日数は発表されていないが、私の記憶では梅雨明け後、30℃に達しなかった日が1日あっただけで、あとは8月末まで毎日30℃を超していたと思う。

 東京より少し北の熊谷では最高気温40・9℃がでて、35℃でもいたたまれない暑さなのに、40℃を超すとどんな暑さだろうか。

 40年近く前、九州から東京に引っ越ししてきた時、東京の夏は何と過ごしやすいのだろうと思ったことがある。

 東京の夏は九州と比べると、昼間の温度はそう違わなくても朝晩が涼しいし、暑い時期も短かった。

 それが、ヒートアイランド現象とやらで、夜の気温が高くなり、実際に東京の熱帯夜は福岡よりも多い。以前は盆過ぎには涼しくなっていたように思っていたら、最近は盆が過ぎても涼しくならず、月末まで暑い。

 年によって暑い夏も、そうでもない夏もあるとしても、平均して言えば東京の夏はかなり暑くなっているようだ。

 先ほどの川柳の中に

 毎年を異常気象という鈍感

 とあり、夏が以前より暑くなったのはもう異常とは言えないのかもしれない。

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No311 ピンからキリまで

 311hama_2 だれもが「ピンからキリまで」という言葉を聞いたことがあるであろう。

 「最上等のものから最下等のものまで」とか「始めから終わりまで」という意味で、「ピンキリ」と略して使われることもある。

 インターネットでコラムを読んでいると、「政治家にも官僚にもピンからキリまである」とあって、注釈に「ピンもキリもポルトガル語で、ピンは1を、キリは10を表す」とあった。

 私はこれまで「ピンキリ」を日常的に使ってきたけれども、この言葉がポルトガル語に由来するとは知らなかった。

 語源由来辞典で調べてみると、ピンはポルトガル語でサイコロやカルタの「1」を意味することから「最初」とか「最上」を意味するようになった。「キリ」はポルトガル語の十字架を意味するクルスが転じた語で、「十」を意味するようになり、「終わり」「最低」を意味するようになった。ただこの説には異論もあって、ポルトガルから伝わったカルタの終わりの12枚目を「キリ」と呼ぶことから、「終わり」「最低」を意味する言葉としてキリが使われるようになったとする説もある。

 「キリ」の由来がどうであれ、「ピン」は「1」を意味するようで、「ピン芸人」「ピンハネ」といった言葉はこのピンからきているという。

 お笑い芸人はコンビを組んで活動することが多いが、ピン芸人は一人で活動する人たちのことで、青木さやか、友近、といった人たちである。 落語家や手品師はは元々一人なのでピン芸人とは呼ばないようだ。

 興行主が役者の手当から手数料として1割差し引くことを、1割の1から「ピンハネ」といわれた。これが転じて他人の利益の一部を先に取ることを「ピンハネ」と言うようになったという。

 若者言葉に「ピンプリ」というのがあるのをご存じだろうか。これを私は知らなかったのだが、「ピンプリ」とは一人でプリクラに写ること、さらに一人で写ったプリクラ写真のことだという。

  新内閣が発足した。 大臣にもピンキリがあるなんて言われないように、どの大臣もピン大臣であって欲しいものである。

 私自身について言えば、立派な紅葉マークの年齢で、もうキリ人間というのであろうか。

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No310 テレビ

 高校野球が始まると、昼間のNHKは高校野球一色である。私と同年代の男性は多くがテレビの高校野球を見ているようで、地元高校の試合にはテレビにかじり付いている人が多いようだ。
 ところが私はほとんど高校野球を見ない。このことを知人に話すと、「珍しい人だねー」と言われてしまった。
 高校野球に関心がないわけではなく、テレビニュースや新聞で勝敗を気にしてはいるが、野球中継を試合開始から最後まで見続けるだけの興味がなくなり、根気も続かなくなった。
 310hama 年寄りは高校野球の他大相撲も大好きで、場所が始まると毎日見ている人が多い。それに加え、水戸黄門の再放送を毎日見るという人も多く、この三つの番組を見れば立派に老人の仲間に入れそうだ。
 最近はプロ野球のテレビも見なくなった。
 以前は毎晩巨人の放送にチャンネルを合わせていて、巨人が負けるとせいせいしたものだった。 ところが巨人が弱くなって、弱い巨人が負けても以前のように痛快に感じることもなくなり、自然に巨人のテレビ観戦から遠ざかってきた。
 野球に代わって、サッカーの試合が面白くなり、特に日本代表の試合は楽しみで、時間が遅くても必ずテレビ観戦している。
 ドラマも見なくなって、朝ドラも大河ドラマも最近は見ていないし、民放の人気ドラマといわれるものも見たことがない。朝ドラや大河ドラマのような長期間のドラマは年を取ったせいで見続ける根気がなくなったのか、それとも魅力がなくなったのだろうか。
 毎日見るのは夜7時のNHKニュースで、ドキュメンタリーや旅番組もよく見る。お盆に2日にわたってNHKで放送された東京裁判の番組は若い人にも見てもらいたい良い番組であった。
 旅番組「世界不思議発見」などで、エジプトやアンコールワットなどこれまでに行ったことのある場所が放送されると目が離せない。実際に行ったことのある場所が映し出されると、その時の模様が浮かんでくる。
 わが家のテレビは地上波だけで、衛星放送にもハイビジョン放送にも加入していない。それだけで十分で、これ以上チャンネルを増やしても、見る余裕がないと思っている。
(写真はNHK夜7時のニュースのテレビ画面)

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No309 私の消夏法

 
 関東地方は梅雨明けが遅く、8月1日に梅雨明けとなった。それまでは過ごしやすい夏だったため、梅雨明け後は格別に厳しい暑さになった。 連日、最高気温が33~34℃となり、今年から猛暑日と呼ばれる35℃以上の日もあった。
 私の家には空調機を都合4台付けているのだが、パソコンを置いている私の部屋だけにこれがない。家を買ったとき、意地を張って空調機を付けなかったのがそのままになっていて、冬は電気ヒーター、夏は扇風機が空調機なのである。 そのうえ西日が当たるので、午後からは猛烈に暑くなり、だいたい気温プラス2~3℃ぐらいの室温になる。気温33 ℃になれば室温は35℃ぐらいになる勘定で、これでは扇風機ぐらいでは耐えられない。
 午後からは冷房のある部屋に逃げるか、又はスポーツクラブのプールで泳ぐ事にしている。  プールへの10分ほどは炎天下で日陰がなく暑いが、プールに入っている間は暑さ知らずで天国である。
309hama  といって、いつもプールに入っているわけにも行かず、インターネットでメール碁の返信をしたり、知人のホームページを見たり、この文を書いたりで、暑くてもパソコンに向かわねばならない事もある。
 私の部屋は夜になっても壁面に熱を持っていて、なかなか涼しくならず、夜の11時を過ぎても33℃と言うこともある。  扇風機だけでは間に合わないので、ぬれタオルを頭に巻いたり、膝にかけたりして、そこに扇風機の風を送りながらキーボードをたたいている。このぬれタオル作戦は思った以上に効果的で、33℃の温度計にぬれタオルを掛けると、実に28℃まで下がった。ぬれタオルで体の一部を冷やすと、暑さが和らいだようで気持ちがよい。
 暑い夏を元気に過ごすにはには睡眠も大切である。クーラーの効いた部屋で昼寝をするのもよいが、私は就寝するとき2時間ほどのタイマーをかけ、クーラーを付けることにしている。  ベッドの部屋も西日が当たって夜になっても暑いことが多く、クーラーを27℃にセットして就寝すると寝付きがよい。
 この文が載るころは8月も半ばを過ぎているのだが、相変わらずぬれタオルを巻いているのだろうか。 

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No308 日本と外国との違い

308hama カーリー西條さんをご存じだろうか。

 カーリーさんは1949年アメリカ生まれ、若いとき日本に来て日本人と結婚し、料理研究家としてアメリカの家庭料理を紹介するなど幅広く活躍して

おり、テレビの料理番組などで見たことがある人も多いと思う。

 カーリーさんがラジオで「外国にない日本の習慣」について話していた。その中で記憶に残っているもの紹介すると、

 タクシーの自動ドアーは日本だけである。列車の時間が正確で、1分遅れても謝りの放送がある。年配の女性が孫らしい子供と電車に乗ってきたとき、カーリーさんは女性にどうぞといって席を立ったところ、女性は有難うございますと言って子供を座らせた。カーリーさんは年配の女性に席を譲ったのであって、子供に座らせるのなら席を立たなかったのにと後悔したという。

 アメリカから母親が来日したとき、母親がマスクをしている人を見て、日本人はこんなにも病人が多いのかと驚いた。

 カーリーさんがアメリカに行ったとき、エレベーターで男性からどうぞと言われた。日本の習慣が身に染みついていたカーリーさんはとても戸惑ったという。日本にはレディーファーストの習慣がないのである。

 横綱朝青龍が相撲協会から2場所出場停止などの処分を受けた。処分理由については新聞等で報じられており、その根底にあるのは相撲協会と朝青龍の相撲に対する考え方の違いにあるように思う。

 朝青龍は本場所の取り組みで勝つことだけを考え、それ以外はすべてプライベートの時間で、相撲協会や相撲部屋に拘束されることはないと考えているのではなかろうか。

 相撲協会は朝青龍に対し、あくまでも協会の一員としての行動を求め、朝青龍の勝手な行動を許さないというのが今回の処分になったと思う。相撲協会は極めて伝統的な組織であり、横綱はそこの最重要なポストである以上、朝青龍は協会の一員として行動するしかないようだ。

 国によって風俗習慣が違うけれど、「郷に入っては郷に従え」である。

(イラストはカーリー西條さん)

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No307 散髪

 頭を丸刈りにして1年になる。
 丸刈りにした当時、顔を洗ったときなど無意識にヘヤーブラシを握り、髪がなかったんだとブラシを置いたことが何度もあった。
 最近はブラシを握ることもなく、すっかり丸刈りに慣れ、丸坊主ほど楽なものはないと思っている。
307hama  冬は頭が寒いので、外出するときは暖かい帽子をかぶり、夏は太陽が当たると頭が焼けそうで帽子をかぶり、丸刈りに帽子は必須であるが、丸刈りにする前も帽子をかぶっていたので、帽子に抵抗感はない。
 特に楽なのはふろに入るときで、頭も体も石けんで洗い、上がると頭も体も一緒にタオルでふけばそれでよい。当然ながら、髪の毛をドライヤーを使って乾かす必要はないのである。
 以前は2ヶ月に1回ぐらい美容院に行って、髪を染め、カットしてもらっていた。これが待ち時間などもあって、2時間から3時間近くもかかる事があって気が進まなかった。現在は、充電式の電動バリカンで、相棒に刈ってもらい、15分もあれば終わる。
 子供のころ、手動のバリカンで、親が頭を刈ってくれた。手動バリカンは髪の毛をはさんで、「アイター」ということがあったように思うが、電動バリカンは性能がよく、「アイター」ということは全くない。
 髪の毛の長さを3㍉、6㍉、9㍉12㍉と調節できるよう刃先にアタッチメントが付くようになっていて、切れ味がよく実にスムースである。切れ味がよいので虎刈りになることもない。
 私の場合は刃先を6㍉にして全体を刈り、えり足などはアタッチメントをはずして短く刈り込んでいる。
 といっても、自分でやるのは難しいので、相棒にやってもらう。この時、私の小遣いの中から、私がランチをおごる約束になっている。ランチといっても2人合わせて2千円前後のものなので、これまでの美容院代の半分以下となり、大助かりではある。 
 1ヶ月半か2ヶ月ぐらいでカットするのだが、相棒は私の髪をみて、髪が伸びて見苦しいから、もっと早く刈れという。 私には見えない後頭部が見苦しいと言うのだが、私は見苦しいからだけではないような気もしている。

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No306 冷やし中華

「冷やし中華始めました」と、中華レストランなどに張り出されるのは6月ごろであろうか。 「冷やしそーメン始めました」という張り紙は出ないと思うのに、なぜか冷やし中華だけは張り紙が出る。それだけ冷やし中華を待ち望んでいる人が多いのであろう。

 このころになるとスーパーの売り場でも焼きそばに替わって、冷やし中華が多くなってくる。 今年気が付いたのは、スーパーの売り場で冷やし中華と並んで「冷やしラーメン」と書かれたものが売られており、「ざるラーメン」というのもあった。

 冷やしラーメンは袋に冷やし中華と同じような絵柄が印刷されており、実際に食べてみても、冷やし中華と変わらず、メーカーの呼び名が違うだけのようであった。

 306hama  ざるラーメンはざるそばと同じようにボイルして冷やしたラーメンのメンを、付けだれにつけて食べるようだが、未だ試していない。

 冷たい麺(めん)としては韓国の冷麺がよく知られている。スーパーでも韓国冷麺が売られていて、この麺は薄く茶色味を帯び、透明感がある。茹でるとゴムのような弾力性があって、腰が強い。

 ゆで上がった麺を冷やし、肉類やキムチなどをトッピングし、牛肉で取った冷たいだし汁をかけると、韓国冷麺ができあがる。弾力性のある麺の食感がコクのあるスープとマッチしてうまい。

 盛岡市には盛岡冷麺と呼ばれるものがあるそうだが、この冷麺は韓国冷麺がルーツだという。

 「冷やし中華始めました」の張り紙が出るころになると、わが家の昼食も焼きそばに替わって冷やし中華が登場する。

 1週間に1回は冷やし中華の昼食で、ボイルした麺の上に冷蔵庫の残り物をトッピングし、付属のたれをかければわが家の冷やし中華のできあがり。

冷蔵庫に残った野菜などを使うので、わが家の冷やし中華は焼きそばと同じように具材たっぷりである。

 トッピングするものを挙げると、もやし、キュウリ、にんじん、おくら、しそ、ミョウガ、レタス、ネギに錦糸卵、鶏のささみ、ハム、ちくわ、かにかまなど、その日にあるもの数種類が麺の上に載っかる。

 暑い夏でも冷やし中華は食欲が進み、これを食べれば、夏バテはない。

(写真はわが家の冷やし中華)

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No305 T シャツ

 この時期になると、ほとんど毎日Tシャツで過ごしている。

 家の中だけでなく、近所に出かける時もTシャツで、襟の付いたシャツを着るのは、たまに電車に乗って出掛ける時ぐらいである。

 電車で出掛ける時もTシャツでも良いようなものだが、電車の中が寒いことがあり、出先でもTシャツでは冷房が効き過ぎて寒いぐらいのことがあるので、Tシャツの上に襟付きのシャツを羽織る事が多い。

 さらに、家の中ではもっぱら半パンである。

 Tシャツに半パンなら、30℃まではクーラーは必要ない。

 私が現役のころはTシャツは下着で、白いTシャツを着て、その上にワイシャツ、ネクタイ、スーツというのがサラリーマンの定番であった。当時、Tシャツで人前に出るのは非常識であったが、現在のTシャツは色とりどり、凝ったデザインがプリントしてあって、なかなかおしゃれである。

 海外旅行をすると、どこの観光地でも観光の目玉などをデザインしたTシャツを売っていて、私は自分用にTシャツを時々買っている。

 観光地の土産物屋で安くてよい品物はないが、エジプトでTシャツを買ったときは驚いた。

305hama  土産物屋でTシャツの値段を聞くと、1枚8千円だと言った。話にならないと、店を離れようとするとすぐに4千円に下げ、私は5ドル(600円)でないと買わないと言って店を出ると、追っかけてきて値段を下げ、最後は600円でもOKとなった。

 品物はピラミッドを刺しゅうした安物であったが、最初に8千円と値段を付け、最後には600円まで下げるとはびっくりした。

 私はこのエジプト製のTシャツを着て、スポーツクラブなどに通っているが、見た目にも涼しく悪くない。

 政府ではクールビズと称して、ネクタイを外したスタイルが普通となり、冷房温度を2℃ほどあげて28℃とし、省エネを進めているという。

 テレビで見る限り、スーツ姿から、ネクタイだけを外したと思われる人が多く、センスがよいとはとても言い難い。

 首相はじめ各大臣がTシャツ姿になれば、見た目も本人も涼しい。

  首相が富士山をプリントしたTシャツで現れ、麻生さんがマンガキャラクターをプリントしたTシャツで登場すると楽しいのにと思う。

(写真はエジプトで買ったT シャツ)

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No304 いきいき健康農園(9)

 今年はジャガイモ2品種、「北海コガネ」と「アンデスレッド」を21個と11個植えていた。掘りあげてみると、アンデスレッドは出来が良く、種芋が半分なのに、北海コガネと同じぐらいも採れ、合わせると20キロ以上にもなった。

 ジャガイモで春野菜は終わり、現在はピーマンやオクラなど夏野菜の収穫期を迎えている。

 春野菜の出来をまとめてみると、成績の良かったのはタマネギで、玉が大きくなり、市販品の倍はありそうなタマネギを収穫できた。二人家族だと、1個のタマネギが3回も4回も料理に使えるのである。

 昨年もタマネギがたくさん採れて、床下の物入れに入れておいたところ、かなりのタマネギを腐らせたので、今年はこのようなことがないようにと、現在も軒下につるして乾燥して304hamaいる。腐らなければ、1年中、タマネギを買わなくても良いかもしれない。

 サラダ菜、レタスは例年通りの出来で、この間まで毎朝、生野菜をウサギのように食べていた。

 今年初めて夏大根にトライし、冬の大根と同じくらいの大根ができて大成功であった。ところが夏の大根は冬のようにおでんにしたり、ぶり大根にしたりすることがなく、せいぜいサラダか大根おろしに使うぐらいで、なかなか使い切れない。今も売り物にできるような大根が6本か7本畑に残っている。

 昨年はサヤインゲンがたくさん採れたのでボイルして冷凍保存していた。野菜の豊富な時期は冷凍品を使うこともなかったが、春先になって煮物などの彩りに使うようになって、ようやく使い切ったとき、今年のサヤインゲンが採れ始めた。今年のサヤインゲンはそれほど多くはないが、それでもサヤインゲンは一時期に採れるので、今年もボイルして冷凍保存している。

 現在、畑にあるのはサツマイモ、キュウリ、里芋、ショウガ、オクラ、空芯菜にナス、ピーマン、シシトウ、トウガラシであるが、ナス以下の実物は成長が芳しくない。ナスは連作障害に強いと言われる接ぎ木苗を植えたのだが、ジャガイモのあとで連作障害が出たのかもしれない。

 ショウガの種芋をもらったので、初めて植えてみた。順調に芽を出しているので、秋の収穫が楽しみである。

(写真は収穫した大きなタマネギと普通サイズのタマネギ) 

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No303 アンデス

 前回の「メロン」でアンデスメロンについた書いた。
 アンデスメロンのアンデスは南米のアンデス山脈に由来するもので、アンデスメロンはアンデス山脈が原産地かと思っていたら、これが大きな間違いであった。
 アンデスメロンは(株)サカタのタネが開発したもので、最初は「アンシンデスメロン」というネーミングで売り出すことにしていたという。これは栽培者にとっては栽培が簡単で「安心です」、消費者にとっては買って「安心です」ということであったらしい。ところが売り出す直前になって、「夢がない」とか「語感」が良くないとかの理由で「シン」を取って「アンデスメロン」が誕生したという。
 「アンデス」はアンデス山脈とは全く関係がなくて、「安心です」と言う意味あいであった。
 ついでながら「プリンスメロン」も(株)サカタのタネがアンデスメロンの前に開発したもので、皇太子(現天皇)の御成婚にちなんで付けられた名前だという。
 ジャガイモはアンデス山脈高地原産で、ヨーロッパ経由、1600年頃、オランダ船によりジャカルタから日本に渡来したという。
 ジャガイモにはアンデスレッドという品種があって、今年、少しだけ植えてみた。先日、試しに掘ってみると、卵よりやや大きいぐらいの赤いジャガイモがたくさんとれ、豊作であった。食べた感じは男爵いもに似て、ほくほくしておいしかった。
303hama_1  このジャガイモのアンデスはアンデス高地原産の品種を交配して、日本で作られた品種で、アンデスの名前にふさわしい。
 さらに言えば、ジャガイモと言う名称はジャカルタから渡来したイモということから、ジャカルタイモと呼ばれていたものがジャガイモに変わったものだという。
 名前の由来や語源を調べてみると、そのものの歴史が分かり、夢がふくらんでくる。
 最近、国民年金がデーター処理で大きな問題を起こしており、牛ミンチには安い豚肉などが混ぜられていた。都会の真ん中の温泉が爆発し、まことに安心できない世の中である。
 ここは「安心です」のアンデスで、「アンデス年金」や「アンデスミンチ」「アンデス温泉」に早くなって欲しいものである。
(写真の赤いジャガイモが「アンデスレッド」  

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No302 メロン

 先日、テレビでメロン特集をやっていて、メロンの熟成と食べごろの判別法を放送していた。
 相棒は早速メロン、と言っても高級なマスクメロンでなく大衆向きのアンデスメロンを買ってきた。へたの部分が少し黄色みを帯びてきたら食べ頃だという。
 アンデスメロンを食事用のテーブルの上に置いて毎日眺めていた。へたの部分が少し黄色くなってきて、ちょうど1週間経ったところでぼつぼつ食べ頃だろうと切ってみた。果肉がとろけるように柔らかく、甘くてジューシーで、今まで食べた高級メロンよりもおいしいように感じた。

 今まで、アンデスメロンやプリンスメロンを買ってきても、熟成を待つことはなく、1日か2日後には切っていた。果肉が硬くても、こんなものかと思っていた。アンデスメロンでも充分に熟成させれば、マスクメロンに負けないほどの味になることを初めて知った。

302hama  10年ほど前の海外旅行で、東京で果物屋をやっているというYさんと一緒になった。年は70才を越えていて、息子に仕事を任せていると言うことだったが、果物屋といってもそこらの果物屋とは少し違う。

 エリザベス女王来日の時の晩さん会で、メロンを食べた女王が「日本のメロンはおいしい」と言われたという。    そのメロンはYさんが納めたもので、女王にこう言わせたことは、Yさんの一生の誇りであり、自慢であった。
 Yさんの店にはメロンなどを熟成する室(むろ)を持っていて、高級ホテルなどに食べる時刻に合わせて完熟メロンを納めるのだという。
 メロンの味は何よりも熟成が大事で、食べる時刻に最高の熟成度にするのがYさんの腕であり、エリザベス女王に「うまい」と言わせたのもYさんの熟練の技であった。

 ミカンやリンゴは収穫後に熟成させると言うことはないが、最近の果物は熟成して味を出すものが増えてきた。アボガド、キウイ、パパイア、マンゴなど、どれも熟成度によって美味しさがひどく違ってくる。
 当然ながら、果物の色とか香り、柔らかさなどによって熟成度を知り、最高の熟成度のときに食べるのが一番おいしい。
 ところが、果物によって熟成度の見方がそれぞれで、最高の熟成度を見つけるのは至難の業である。

(写真はわが家で切った完熟アンデスメロン)

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No301 デジカメ

 デジカメについて5年ほど前にこの欄に書いており、その時がデジカメを使った最初であった。現在はデジカメ2台目で、フィルムカメラを全く使わなくなった。
 最初のデジカメは手のひらサイズではあったが、厚さが5センチもあって、ポケットに入れるにはやや大きすぎた。
301hama   今使っているデジカメは厚みが2センチのキヤノン製で、手のひらにはいるぐらい小さく、上着のポケットに入れても違和感はない。
 小さいけれども性能は抜群で、何よりもうれしいのは小さなメモリーカード1枚で普通サイズのプリントなら850枚も撮影できることである。エジプト12日間の旅行で私が撮った写真は400枚ほどで、まだまだ余裕があった。
 性能が良いのはこれだけではなく、ズーム、ストロボ、連続撮影の外、動画も撮影できる。
 さらに風景、花、ポートレートなど被写体による撮影テクニック、また夜間や室内での撮影テクニックなども設定できるようになっているが、この辺りのテクニックについてはほとんど頭に入っていない。
 残念ながら被写体にカメラを向け、オートでシャッターを押すだけであるが、これで十分に写真が撮れる。
 フィルムの残りもフィルム代も気にすることはないので、旅行などに出かけるとフィルムカメラの時代より、撮影枚数がかなり増えたようだ。
 カメラの画像をパソコンに取り込み、画像の明るさなどを調整してから家庭用のプリンターで写真をプリントしている。フィルムを写真店に出し、焼き付けしてもらうのに比べれば、費用が1割にも満たない感じで、大助かりである。

 以前使っていたフィルムのカメラはどうなっているかと取り出してみた。
 10年ほど前、今のデジカメ5台分ほどで買ったキャノンの1眼レフは持ち手部分がべとべとしており、電池がなくて、シャッターが切れなかった。
 40年以上も前、社会人になってボーナスをはたいて買ったアサヒペンタックスはシャッターがスムースに作動しなかった。
 あと2台の小型カメラも使えそうになく、たとえ電池を入れ、修理して使えるようになったとしても、使うことはないであろう。
 買ったときはお宝だったカメラが全部不燃ゴミになってしまった。
(写真はフィルムカメラとデジカメ(最前列))

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No300 300回

 「浜風にのって」が今回で300回を迎えた。
 第1回は平成13年(2001年)7月22日で、それ以来、旅行などで何回か抜けた事はあるけれど、ほぼ毎週、6年近くも書き続けてきたことになる。 300hama_2   

 第1回は「高校野球」という題であった。
 私は八幡浜を出て半世紀近くにもなるのに、夏の高校野球予選が始まると八幡浜高校の成績が気にかかり、大会が始まると愛媛県チームを応援し、さらに四国のチームを応援する・・・というのがこのエッセーの主旨であった。
 今もその気持ちは変わらず、6年間も八幡浜新聞に書き続けていると、その気持ちが強くなったような気もしている。
 このエッセーのおかげで八幡浜新聞を毎週いただいており、新聞から郷里の出来事などを知り、昔の事を思い出したりするからである。

 書き始めた当初はどこまで続けられるか全く予想もできなかったが、振り返ってみればそんなに苦労することもなく300回となった。
 何について書くかが一番問題で、これが決まるとあとはパソコンのキーボードをたたくだけである。
  字数を1割か2割オーバーして書き、書いたものを新聞の書式にあわせて削除したり加筆したりして形を整え、最後にワープロソフトのチェックにかけている。
 このチェックはワープロソフトに付随しているもので、誤字脱字、同音異義語や漢字の使い方などが間違っていないかどうかをチェックする。
 このチェックによって、常用漢字表にない漢字を書き直したりして読みやすい文章になるよう心がけている。

   これまで書いた300回の題に目を通してみると、旅行記が目につくが、その他では私の日常生活に関するものがほとんどである。
 このエッセーは6年間の私の自分史になっているようだ。

 世の中の出来事とか政治がらみについての意見とか批評と言ったものは識者に任せることにして、私のエッセーのテーマとしては避けてきた。
  これからも今まで通り、私の身辺を書くつもりである。
 問題はこのような個人的な話題が読者に喜ばれるかどうかである。
 喜んでもらえるならば、自分の生きている証明としても、書いてゆきたいと思っている。  (写真は300回の八幡浜新聞紙面)

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